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2002年からの武術エッセイ

剣道を教える先生が、礼儀正しくしなさいと子供達に説いたときから、この先生は自分が無礼なふるまいをしないように細心の注意が必要になる。

柔道を教える先生が、根性!根性!ど根性!と子供達をけしかけたときから、この先生は自分があらゆるものごとから逃げないように、自分で自分を追い込むことになる。

自由がないんだな~。
とっても窮屈だよね。

いや、いや、けなしてるんじゃないんだ。
礼儀正しさも根性も、子供達には必要なことだからね。

でもさ、礼儀正しさが、「おまえら、おれは偉いんだから、おれをだいじに扱えよ!」なんてニュアンスで子供達に伝わっちゃうととまずいよね。
根性もいいけど、「おれはおまえらよりもっと苦しんだんだから、おまえらももっと苦しめ!」なんて感じ、子供達に伝わっちゃうと、やっぱ、まずいと思うんだよね。

そんなかんじで子供達を教えるとさ、出てくるわけよ、いろんなへんなことが・・・。
たとえば、自分の先生には礼儀正しくするけど、ほかは無条件でばかにするとか、先生にしごかれたり、先輩にしごかれたりしたから、後輩や自分より下の者をいじめちゃうとかさ・・・。
いや、いや、しごきくらいならいいけどさ、おうおうにしていじめになっちゃってるよね、最近はさ・・・・。

それにくらべて武術の先生ってさ、弟子に弱み、もろにみせちゃってる人おおいよね。
ふんぞりかえっている人って、滑稽なくらいふんぞりかえっているよね。
誠実な先生って、いつも自分をみつめて、眉間にしわ寄せてるよね。
大酒飲みの先生って、「どうしても酒、やめられないんだよね~」って弟子の前で苦笑いしてるよね。
かかあ天下の先生って、弟子のまえで奥さんに叱られても「いや~女房にはかなわない」って頭かいてるよね。
世渡り上手だったり、不器用だったり、おちゃめだったり、偏屈だったり、それでも、腕は確かだったりすると、やっぱ、弟子は師匠を尊敬するし、黙ってたって、人それぞれの価値をみつけて礼儀正しくなったり、そんな技真似できない!とか、なんでそんなことできるの?なんて思ったら、根性出して稽古するよね。
ひとはいろいろ価値観が違うとか、いいとこもあればわるいところもあるし、長所もあれば短所もある、なんて、先生の生き様を見て理解できたら、やっぱ、むりやり下のもんをしごいたり、いじめたりしなくなると思うんだ。

武術の先生ってさ、基本的には何も教えないんだ。
心のことも技のこともね!

ただ、技をみせるだけ・・・・。
ただ、そばで自分をまるごと見せるだけなんだ。
先生の技を見て「すっげ~っ!」て思えれば、弟子は師匠のいいところも、悪いところも、ちゃんと自分で考えて勉強していけるんだと思う。

武術の先生って、なんだかんだと教えないのに、弟子にいっぱい教えている、そんな不思議で魅力的な存在だと思う。

2005年6月記す。

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