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変化にまつわるエトセトラ

  いつまーでも変わらぬアーイを
  キミーに届けてあげーたい

 こんな曲が九十年台前半、爽やかの表象と化したポカリスエットのCMと共に大ヒットした。「ええ曲やけど、うーん、なかなかそれは難しいんじゃないのぉ?」あれから曲がりなりにもそれなりの年数の人生を歩んだ私はそう問いたい。

 世の中はうつろい行く。まさに諸行無常(この熟語大好き!)、長らく続いた「コロナ感染症対策」もようやく終わりを迎えた昨今、巷ではマスク着用が個人に委ねられ、パーテーションが取り払われ、フィジカルなイベントも全面的に解禁となって来た。
 
 そんな中、私は三年間延期された末にようやく開催に至ったという、とある祝賀会に参加し、その会場で一際麗しく輝く女性とお話しさせて頂く機会に恵まれた。その方は現在、外国文学の翻訳などをされていて、女性と年齢を結びつけて話をするのは無粋&野暮なのは承知の上で書くが、既に私立大学の教員を定年退職されたような年齢の方だった。パーティ翌日もその方から受けた華麗なる衝撃みたいなものを引きずりながら過ごしてしまう程に「綺麗、美人、上品、聡明、育ちが良い、華やか、かわいい、キュート」等々の言葉でも形容し尽くせないお方で、さらにはお話し上手でもあり、あのような花体質は天性のものであって、よもや私めが目指すなんてめっそうもございません、そんな無謀なことは頭によぎりさえもせず、そしてその貴重なる質は年齢を重ねたところで微塵も衰えない、さらに言うなれば、経年熟成されるのだと一人勝手に確信した。例えるなら、往年の女優、八千草薫さんや森光子さん、そして今も活躍される吉永小百合さんなどが醸し出される「知性的かつ無垢な少女性」みたいなものに、パーテーション無しで接した私はノックアウトされたのだった。「目指すなんてめっそうもございません」という気持ちは確かだが、先月のパリジェンヌ・ロンドナーへの憧憬も相まって、私の中でフツフツとおめかし欲(またの名は物欲)が増している。じんわりと念頭にあるのはエルメスもしくはドリス・ヴァン・ノッテンの口紅だ。前者は諭吉価格、後者はそれ以上か…。そして世間でも口紅の購買意欲が増しているようで、中でもプランパー系、グロッシー系、ティント系が人気のようだ(私調べ)。つまり脱マスク後は、ツヤとボリュームで派手に主張したいということか。同様にチーク、ハイライト、シェーディングなどマスクで覆われていたパーツを魅せるアイテムも売れそうだが、私は「その前に」と、上司に一年以上前に頂いたフェイスマスクを使用してみた所、寝不足が続き「化粧乗りの悪い人の見本」と化していた肌が蘇り、我ながら驚いてしまった。肌に関しては「美肌の人は何が起ころうが美肌で、その反対も然り」という持論があったが、「フェイスマスク侮れないな」という実感と共にこれからは(つまりそれなりの年齢を超えると)美肌はお手入れ次第かもと思えて来た。

 テレビでは全く見なくなった一色紗英(前述のCMのヒロイン役)だが、SNSなどでたまに拝見するとこちらも十代の頃と変わらないどころかさらにさらにかわいく美しくなっている。そしてそれは遺伝的な外見美に因るだけでなく、ましてやどんな高価なフェイスマスクや化粧品の効果でもなく、きっと溢れる幸せオーラ、自信や自愛から生み出される真の美しさと思われた。
 早くも葉桜へと移り変わる鴨川ベリでは、幾世代も変わらず繰り返されているのか、等間隔を空けて佇む人々の姿が見える。対岸からそんな風景を眺めつつ、一色紗英を思い浮かていると「これまた手が届きません」と心の声が聞こえてきた。
                            (執筆時4月初旬)


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