それはそれは幸福な

誕生日イベントとか、やらないんですか?
と、ごく稀に言われます。
DJやらなにやらやらせて頂いて人前に立ったりイベントやったりしてるとまぁ、そんなような事を社交辞令で聞いて頂くこともまぁ、人並みにあるんすよ。

だもんで、自意識のクソ面倒臭い人間としてお答えさせていただきますと、多分やりません。前はやってたんですけどね。や、やりたいというか、祝われたい欲は人一倍あるんですよ。自意識の化け物なので。できある事ならこの世に存在する俺を知っている人間を日本武道館に端から並べて一人四千字ずつ俺の思い出と感想と良いところをノンマイクで叫んでいって欲しい。それを1人演台で「そんなことないですよぉ」みたいな顔で聞いていたい。まぁ、後半飽きるだろうしそもそも1人目で恥ずかしくなって帰りたくなるだろうからやらないんですけど。あ、そうそう、それ。

はずかしいんですよね、おめでとう!みたいなやつ。祝われるよりも祝ってる方が楽じゃないですか。そもそも生まれただけでなんもしてないし自分のためにしか生きてない感が強いので「祝われるほどなんかした覚えねえし」とも思うんですよね。この褒められたいと褒められる事ないの二極化が僕の病気だったりするんだと思うんですけど。んじゃ誕生日祝う時にこの人には世話になったからとか考えてるか?っつったら冷静にそんなこともないんですけど。

あ、因みにTwitterとかでおめでとうリプライを送らないのもこの辺に起因してます。そもそも俺におめでとうって言われても儀礼的にありがとうしか言うことないだろうに、誕生日まだそんな労力使わせんのも悪りぃな、とおもってリプライしません。でも俺以外の友達に祝われる可能性は増やした方がいいだろうなー と思ってリツイートはする。そんな感じ。

話戻すけど誕生日にイベントやらないのは単純に誕生日に自分の労力使ってイベントやって赤字なんか出したら生まれてこなきゃ良かったと思うだろうし、そもそも生まれた程度で他人様の時間拘束するほど人気者じゃねぇし、と言うことでほしい物リストくらいにしておいたんですけど、金使ってもらうのもなんかわりーなーと思って、「あ、じゃあその人の活動の宣伝にちょっとのっかればいっか!」と思ってやってんのが大同人天城なんだけど、もうそろそろそれも労力過多だな、とか思ってるし。

じゃあ辞めます!とか、わざわざいうのも御涙頂戴臭くて嫌なので、そっと辞めてくのが正しいというのが持論なのでそんな感じになるのかなー 

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