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常識を疑え。

常識とは何か。

人々が共同生活を行う上で、
わきまえておくべき共通のしきたりや考え方。

本来は、社会生活の中でスムーズに物事を運び、
トラブルを回避するためのもの。
言わば「人々が仲良くするためのもの」だ。

なのに、我々は、自分と違う常識を持つ人のことを、「常識がない」と言って、非難して、忌避してしまう。
常識というものが、人々が仲良くなることを邪魔してしまっている。

育った環境が違えば常識は異なる。
色々な人に出会えば、自分の信じる常識が、
いかに限定的なものであるかがわかるだろう。

その時に、自分の常識を振りかざして他者を排除するのか、他者の言う常識を擦り合わせて、仲良くするための新しい常識を手に入れるのか。

ネットは、自分の日常とは異なった日常を持つ人々と、容易に接し合うことができる。
SNSへの投稿は、自分の作り上げてきた常識で作り上げた表現を、様々な生活環境で生き、様々な常識を持つ人たちが見ることになる。

中には、驚くような考えを、さも全世界の共通認識であるかのように強弁し、他者を排斥するような主張を繰り返す者もいれば、
無自覚に上から目線で、勝手に理解をしたつもりで、許容という名の”無視”を決め込む者もいる。
「人それぞれ…」などと思考停止させる人も少なくはないだろう。

せっかくたくさんの考えに触れる機会があるのだから、否定せず、バカにせず、無視せず、多くの人と仲良くなってみてはどうだろう。
せめて、自分の意見と違うものに触れたとき、自分の考えとの違いをよく比較してみるべきではないだろうか?

この人は、どういう人で、どういう生き方をしてきて、
何をどう感じ、どう過ごしてきて、今の考えに行きついてきたのだろう。
この人の中で形作られた「常識」は、果たして自分のものと違うというだけで、受け入れがたいものなのだろうか。

ここはひとつ、自分の常識を疑ってみよう。
自分や相手を拒否するためではなく、
新しく出会う人たちと仲良くなるために。

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