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『愛について語るときに我々の語ること』(レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳)おもしれえ

ネタバレなし

感想

 『愛について語るときに我々の語ること』を読みました。とても面白かったし、「なんだか良いなあ」と思える短編集でした。
 誰もが欲している、「愛し、愛される」という幸福な営み。「その願望は限りなく個人的なものだけど、それでも共有・共感したい」という作家の温かな願いが伝わってくる本でした。
 愛に関して、男女誰もがもがいている短編ばかりでした。もがいているというか、決定的にしくじっている。何一つ上手くいかない男女関係をテーマとする短編が、ひたすら続きます。ただ、10・20代のカップルや夫婦の恋愛はとても上手くいっている。子供が産まれ育てていかなければいけなくなった夫婦が、大抵破綻しています。浮気したり、不倫したり。ただ、それでも人は誰かと愛し合いたい。じゃあどうするのか、ということを自分なりに考えられる本だと思います。1の幸福のために、99の艱難辛苦が求められますからね。あーつらい。10代で結婚して子供を産み、やがて家族関係が破綻して離婚し、再婚する。そういった経験をした作者カーヴァーにしか書けない短編集なのでしょうね。

短編集ならではの感想

 一つの短編が20ページ弱しかなく、とても読みやすい。アメリカ人作家が書いた小説を読むのは初めてだったので、短いスパンで話が切り替わるのはありがたかったです。なんせ、出てくる固有名詞は知らないものばかりですし、人名(ライリーとかスコッティーとか)もなかなか頭にスッと入って来ませんから。知らないワードをぽんぽん飛ばして流して読む技術が欲しいですね。

読みたいと思った理由

 読もうと思った理由は三つあります。
 一つ目の理由は、村上春樹訳だったからです。つい先日まで村上春樹にハマっており、2ヶ月ほどで彼の長編・中編・短編・絵本あたりはほぼ全て読みました。エッセイや旅行記はあまり読んでないです。村上春樹作品は好きですが、村上春樹に傾倒したくはない。自分の生き方を全然確立できていないのに村上春樹に傾倒してしまえば、村上春樹的生き方を採用してしまうでしょう。そうなれば、自然に生きるという点において遠回りになるのではと思っています。と言いつつ、少しずつエッセイを読んでしまいます。意志が弱い。
 二つ目の理由は、せっかく村上春樹にハマったのだから、彼と縁がある作品を読もうと思ったからです。少し前に、「村上春樹作品を読み終わったら次はカフカ、ドストエフスキー、フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、チャンドラー、カーヴァー、チェーホフのいずれかの作品を読もう!」と決めていました。『海辺のカフカ』という小説の主人公がこの辺りの作家について言及してて、どれも面白そうだったんです。どれも難しそうですし、この流れで海外文学にも親しめたら良いなあと思ってました。そうなると、まずは短編集からですよね。読みやすいというのは素晴らしい。できるだけ無理をしたくない。頑張りたくない。
 三つ目の理由は、短編集のタイトルと一番初めの短編の題名がなんかよかったからです。『愛について語るときに我々の語ること』というカクカクした響き。冗長で頭悪そうな感じが、頭が悪いが故に丁寧に説明してもらわないと物事を理解できない自分にはたまりません。一番初めの短編の題名は、「ダンスしないか?」(Why Don't You Dance?)。陽気なのに物悲しいのが良い。それに、シャルウィーダンスじゃないのも良い。気取った感じがない。

ネタバレあり、読んだ人向け

 ここからはネタバレありです。各短編や、短編集としての一冊をどう捉えたのかについて話します。

気になった短編の感想、「ダンスしないか?」

 家財道具を全て売ろうとしてしまうの、良いですよね。理由が全く述べられていないけど、何となく家族関係が上手くいかなかったんだと分かります。その結果「過去にまつわる全てを捨ててしまいたい」と思う時のあの切なさや寂しさ、よく分かります。私も学生時代の写真を全て捨ててしまったことをたまに悔やみます。卒アルだけは燃えなかったんで残ってくれましたね。卒アルって、燃やすのを防ぐためにあんなに分厚いのか?

「ファインダー」

 孤独のどうしようもなさが上手く書かれています。ただ、やり過ごすしかない。それが今必要なんだと信じるしかない。その痛みが、両腕のない男の登場によってはっきりと読者に伝わってきます。どうすれば孤独を解消できるのか検討もつかない時。無理にでも誰かに会って視点を変えなくちゃならない、ということを写真家が示してくれます。

「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」

 駄目な人間には、人を落ち着かせる何かがありますよね。私も、もっと自分の欠点を晒して生きていきたい。それができるようになればなるほど、ずいぶん楽になるはず。

「出かけるって女たちに言ってくるよ」

 二人の男ジェリーとビルは、若くして結婚し仕事も上手くいっている。気の合う友人家族がいて、一見幸福そうに見える。しかし、その生活を維持するのに疲れ果てている。刺激のなさにまいってしまっている。そうして重大な犯罪に手を染めてしまう。幸福そうな生活も大切だが、自分だけが追求したいごく私的な何かを見出せなければ袋小路がやって来るのではないだろうか。

「私の父が死んだ三番めの原因」

 ダミーも彼の妻も、あるいは主人公やその父だって、一人の人と深く繋がるというのはとても難しい。それができなくて、破滅に向かっていく。政治的・経済的な理由や家庭の問題。様々な要素が、一人の人を信じて愛するという営みを妨害する。哀しい作品です。

「何もかもが彼にくっついていた」

 この短編から、突然この本の流れが変わります。今まで延々と続くかに思えた「破綻した男女関係」の話が終わり、幸福な親子の物語が展開されます。読んでいるときには、このやり方に心がグッときました。この親だって、色んな失敗を経験してきている。我々の人生には、完全さや想定していた幸せを捨て、やり直さなければならない機会が本当に多い。しかし、その過程にこそ価値があるのでしょう。なぜなら、人は完全さの中にはいられないし、常に変わらなくちゃならないから。しんどいですが、後から振り返ればどれも必要だったということが分かる。なんせ、我々はあまりに不完全なのだから。みたいなことが伝わりました。

「愛について語るときに我々の語ること」

 その流れで、いよいよこの本のタイトルでもある短編の登場。素敵な演出です。四人の男女が、愛とは何か語り合います。彼らは、愛を求める者が直面する苦しみについて語り合う。そして、その苦しみは多種多様である。読者は、これまでの短編からその事実を嫌というほど理解している。それでも、我々は愛を求めて生きている。というか、愛がなくちゃ生きていけない。ということに気付かせてくれる短編です。本当に仲の良い人じゃないと、愛について語り合ったりしたくないですよね。逆に、愛とは何か語り合える人がいるのはとても幸せなことです。私はこの前同窓会で「愛とは何だろうか」と友人に尋ね、空気がピリッと変わったので話題を変えました。

「もうひとつだけ」

 もうひとつ、何をカーヴァーは伝えたいのか。それは、「愛を求めて間違ってくれ」というメッセージなんじゃないかな。我々は間違い続けるしかない。それを重ねることでしか、望みは叶えられない。そんなことを伝えてくれた気がします。

この本全体の感想

 いやあ本当に素敵な短編集でした。散々救いのない男女関係の話を提示しておいて、最後の三つの短編集でその悲哀をひっくり返してきます。結局我々は、愛するということに関しては経験を重ねるしかない。自分で苦しい思いを体験して、そこから何かを学び取る以外にできることはあまりない。何度幻想が砕けようとも、新しい何かを強引に信じて生きていくしかない。そういう意味では、幸福そうな人も孤独に生きている人も、みな同じ地点にいるのでしょうね。誰もが色んな事情を抱えて、同じように愛を求めて生きている。孤独を癒し、優しい気持ちにしてくれる。そんな短編集でした。

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