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[4] 大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文


どうも、大学院を休学して八百屋を手伝うことにした建築学生です。
このnoteは、僕の1年間を「面白がってもらう」ために書き記しています。

高知県土佐町で八百屋を手伝い始め、一週間程経ちましたが、
あっという間に毎日が過ぎ、一人暮らしの日々が遠い昔のようです。

前回のnoteでは
ミーティングの中で、最も印象的だった部分にまつわることを書きました。

今回のnoteでは
ミーティング全体を通して感じた印象と反省 について書いていきます。

●ミーティング全体を通して感じた印象と反省

印象と反省、と書いていますがその内容は重なっていて、
それは、ファシリテーターの必要性です。

[印象]
ファシリテーターは、集団での会議や話し合い、または対談などにおいて
中立を保ちながら、議論を簡潔に括り、その場を進行していく役目を
担う人と捉えて、大きな問題はないと思います。

ファシリテーターに求められるものとして、
客観性・冷静さといったものがありますが、
それらは無意識的な無関係さによって成立するのかなと、僕は考えました。

先日の家族ミーティングには、ファシリテーターは不在でした。
そのため、議論は発散を続けまとまらず、
建設的な時間と言えるものではありませんでした。

というのも、このミーティングには当事者しか参加していません。

ファシリテーターは、
最終的にどのような結論になろうとも、最善を尽くしたのなら良しとするほかない
と言ってしまえる気がしますが、

当事者
結論によって自分たちの生活が左右されることになる以上、
客観的でも冷静でもいられないタイミングが訪れるものだと思います。

つまり、先日のミーティングには
ファシリテーターがいなかった≒ファシリテーターが存在できなかった
と言えるような気がしてきました。


[反省]

しかし、ファシリテーターは必要です。

素人3人による、4時間のミーティングは冗長ですし、
何より、それぞれの思考を整理しつつ、まとめ、そして進行していくことは
議論に活気や明確性を伴わさせます。

したがって、僕が当事者兼ファシリテーターのような振る舞いをする。
ファシリテーターについて経験・知識が豊富なわけではありませんが
現状、これ意外に解決策は無いと思います。

[実践]
これを踏まえて、4月5日には模造紙と水性マーカーを利用し、
ワークショップのように、ミーティングを行ってみました。

知人に習った、自分・家族・地域の強みと弱みを記述し、
マトリックスを構成する手法を試用し、上村青果のコンセプトを見つけ出そう!
といったものでしたが、

どうも話がまとまらない
うまく進行できない
議論の中身もどこか的外れ

などなど、結果はかなり散々でした。

それもそのはずで、ファシリテーターには資料や道具だけでなく、
参加者(当事者)への対応など、綿密な準備が必要でした。

「次のミーティングでは、当事者兼ファシリテーターをやらなくちゃ!」が
先行してしまい、そのことを忘れていました。

全てが初めてのことで、失敗は当然のことだとは思いますが、
少しづつ、効果的なミーティングを行えるよう試行錯誤していきたいと思います。

自分は、目的を達成するべくさまざまな事柄を思考し、また試行しているつもりが
視野が狭まり、他者への配慮が欠けてしまうことがあります。
家族でさえ、お互いの気持ちを想像し汲み取ることは簡単ではありません。

日々の生活や実践に1拍の余裕を保ちつつ、頑張りたいです。

ここまで、読み進めていただきありがとうございました。

次回のnoteの内容は未定ですが、
今後も「大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文」は
不定期で八百屋の状況や筆者の心情を更新していきます。

それではまた、次の散文で。
(2020/04/06)

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