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酔って思ったことを連綿と書き残す54「いよいよです」

はしがき。

あいも変わらず、拙くも小説を書き進めております。
今回も前回の続き、『シン・死の媛』二章のラストです。絢ちゃんパートは、これでおしまい。完成したけど、未完成です。あくまでも、落書き。
先に進みつつ、二章をこれからガツガツと直していきます。特にこのパートは、もっと、言えることがあるんだろうな、と思うので。
書き進めながら、その答えを探そうと思います。
次はいよいよ、三章。
泥沼必至の、死の媛パートです。
一言で言えば、エログロ、R18+。
文ストで福地さんが二本の刃にブッ刺されましたが、二本どころじゃ済まなくなりそう。十八ぐらいの恥を己にブッ刺し、三章を進めることになるでしょうね。
我が身のエロアンテナ、200%。フルカウル。
その前に、全然見れてない、ヒロアカ新シーズンを全部見ようっと。
ウマ娘劇場版も、見に行かなきゃ!
休憩です。

この作中の序盤に、「なんでツナギが、死ななきゃならないのよ!」と、絢ちゃんが叫ぶシーンがあります。
これは、私が実際に聞いた言葉です。
人妻時代、主人の義姉のお子さんが自死しました。享年二十歳だったかな。
その報告というか、電話を受けた時、お義姉さんが電話口で叫んだ言葉、そのものです。

特に書くこともないので、酔った勢いで、ヤングエース最新号の文ストネタバレ感想を、点々と。

燁子女史の最期は、女性の理想像でもあり、男性の理想像のような趣でしたね。あんなふうに絡め取られたいし、あんなふうに女子に愛されたい。ただ、個人的な話、自分がない、と言う点では、私が今回二章で綴った絢ちゃんにどことなく似ていて。うちの絢ちゃんも、幼少期から「人に仕える」という、依存的な人生を送った人で、自立していないんです。
拙作の二章は、これから、文章的にも印象的にも大いに直しますが、燁子女史の最期を受けて、もうちょっと、強く振り切ってもいいのかな、という気持ちにはさせられました。愛に、強さも偏差値もないですから。
障害になるとすれば、森鴎外さんの『ヰタ・セクスアリス』の価値観でしょうね。
私は、燁子女史の健気さに感動しながらも、森さんの価値観に深く共感し、そんな俯瞰的な愛に疲れてます。
どうしたら、こうなれるのでしょうね。

福地さん改め神人さんは、あの調子で、ごくごくと液体をちゅるんとお飲みになられるのでしょうか。
飲みすぎて、水あたりとか、お腹がパンパンではち切れちゃう! なんて、謎のノアの大洪水みたいなことに、なりませんか。
神様の腹具合が、大変心配です。
ただ、神人さんが、飲み込んだ異能力者の能力を使えちゃったりなんかしたら、もう、やばそうよね。

ドスくんが、ブラちゃん所以に、女性を慈しもうとしていらっしゃる。
愛を知ったら、何か、心の変化でも起きたりするのでしょうか。
「一人きりになるかもねー、あははー」なんて文ちゃんにおっしゃっておりますが、やっぱり、自分も死ぬ気なんですね。
死ぬことこそが、彼にとっての最も幸せな夢、自己救済なのでしょうね。

話は戻って、お腹たぷんたぷん必至な神人さんですが、彼でもさすがに、太宰さんはごっくんできないでしょう。彼をごっくんした時、世界はどうなるのでしょうね。
みんな無効化されて、解放されて、案外ドスくんの求めるような世界に変わるのでしょうか。ドスくんもホワイトドスくんになり、国木田くんも、ただの怒りん坊になるのでしょうか。もしかしてドスくんは、神人さんに太宰さんを捧げんとしているのでしょうか。
となると、太宰さん一人だけ、異能力者として残っちゃうわけで。
それ、孤独すぎない?

なんてことを、思いました。
文スト、本当に面白い。



 朝八時。
 私は、四階建てのアパートをお暇した。ステエクは情熱的に、私を愛してくれた。

 彼の余韻の残る躰は、ツナギの通信基地、四〇四〇経由で、目的地の四六九九へと赴く。余燼よじんくすぶる廃アパート前には、消防団、警察官に加え、その場に相応しくない、青鈍あおにび色の軍服姿もあった。通りすがりを装い、その混みいった路地を擦り抜ける。
 ビルヂングの隙間からは、まっさらな青。
 まるで、昨日のことが嘘のようだった。
 昨日どころか、これまでの二年間が、すべて、嘘だったように思える。
 ツナギなんて人、いなかったのではないかしら。
 作家の紡ぐ夢物語のように、幸せな妄想を、夢見ていただけなのではないかしら?
 なのに、何故、私は、あなたの体温をこれほどに求めているのでしょう?
 歩いているのに、地面を感じられない。
 朝風からは、あなたの匂いがする。

 通信基地、四六九九は、締め切られたカーテンに朝日を透かし、仄暗く、陰鬱だった。窓辺の机上、通信機のコイルを取り替え、黒いダイヤルを回す。
「カオフマン、エーミール、ツヴォー、」
 電鍵を素早く叩き、遠く、祖国へと呼びかける。
「受信状況確認。聞こえますか?」
 速やかに返信があった。問題なく聞き取れる、どうぞ。嘉国かこく陸軍情報通信部のモールス信号は、今朝の蒼天のように清々しい。
「二点、あります」
 一点目は、十月十三日未明、皆紅みなくれない女王陛下ならびに、近衛師団特殊部の一、美柃みれいの、燦国さんごく脱出に伴うE作戦の決行について。こちらについては、過去同様、嘉国海軍へご協力を願いたく存じます。急で、申し訳ありません。
 二点目は、嘘です。
「ツナギが、拘束されました」
 電鍵を叩きながら、眼球が鈍く軋み、落涙を知らせる。それからはもう、駄目だった。
 相手が私に、何を伝えたのか。私が相手に何を伝えたのか。通信を終え、何をしていたのか。
 何も、覚えていない。
 気づくと私は、ツナギのベッドで眠っていた。
「痛、」
 まるで、車にでも轢かれたかのようだった。躰は過積載の貨物車のように重く、鈍く、水溜りだと思ったものは、胃液まみれの吐瀉物だった。雷電を宿したように痺れた右脹脛ふくらはぎは、意識を定めることを殊更に否定する。ぼんやりとし、どうにもならなかった。
 視線を彷徨わせるうちに、左手の甲に青痣を見つけた。気怠さに病んだ指で袖を捲ると、薄黒く斑らな模様が、連綿と続いている。本当に、轢かれたのかも知れなかった。
「ドジ、っ子?」 
 眠気に任せ、胎児のように身を丸めると、ツナギの気配を背中に感じた。火傷、十四回。階段から転落、六回。煙草の火の不始末、二回。髭剃りで流血、三十八回。
 掛時計が、時を報せる。
 初めてあなたとここで交わった日も、この音が、鳴って。
 あなたは。
 その、冷たい指を。
「ッ!」
 ッとして、飛び起きた。
 バランスを失くした躰は、無抵抗に、床へと転がり落ちる。そんな痛みよりも早く、両手は耳を塞いだ。
 躰が、私の嘘を否定する。
 お願いだから、思い出させないで。
 夢だと、思わせて。
 そう、させてよ。
 考えたくない。何も、考えたくない。
 ここに、居たくない。
 怖い。
 穢れた躰を小虫が這い回る。そんな、わけのわからない焦燥から、逃げ惑うように寝室を飛び出した。目の前にはツナギを模した、大きなおばけ。切羽詰まった声が、指の隙間から聞こえる。
 私は、叫んだような気がした。 
「絢ちゃん!」
 昨晩の躰と、同じかたち。
「やっぱり、君を一人にするんじゃなかった」
 かみずる体温が、こわれた私を包み込む。
 なんで?
 どうして?
 違う。
 あなたじゃない。
「どうして、ツナギじゃないのよ!」
 何度も、叫んだ。
「どうして、」
 何故?
「なんでツナギが、死ななきゃならないのよ!」

 次に気づくと、見知らぬ天井を見ていた。
 右手に、ぬくもり。
 自然と、視線は右を向いた。
「大丈夫?」
 眠たげな、潤色うるみいろ
 あたりは薄くらく、無機質なペンダントライトが、まるで灯台の灯りのようにステエクを照らしている。
 とても、閑かだった。
「ここ、は?」
 尋ねるそばから、人の寝息が聞こえてくる。
「病院だよ」
 思わず起きあがろうとした私の肩を、大きな手が押さえつけた。
「大丈夫」
 ステエクの声音は、いつもと変わらない。
「わけは、退院してから話すよ」
 閑かな、夜の病室。大丈夫。大丈夫だから。彼の小声が、私を落ち着かせる。私は、どうしてここにいるんだろう。
「今は、動いちゃ駄目だよ」
 安静を求められた。
「どうして、病院に?」
 何も、思い出せない。頭が重く、ぼんやりとしている。
「絢ちゃん、事故にでも遭ったんじゃない?」
 ステエクがそう尋ね返し、私の側頭部に優しく触れる。
「卒倒したんだよ。頭も怪我してるし、躰も痣だらけ」
 頭部に触れてみると、繃帯が巻かれていた。
「救急車を頼んで、先生に診てもらった」
 大事はなく、明日、退院はできるけど、しばらくは安静にしないといけない。
 ステエクは、そう言った。
「とりあえず、しばらくはうちにおいで」
 優しい言葉。
 でも。
「やらなきゃ、いけないことが」
「それは、なに?」
 ツナギの、と口にすると、途端に胸が苦しくなった。
「鳩の、世話」
 ステエクは、少しも笑わなかった。
「それなら、代わりにやるよ。昔やってたから」
 大きな手が、私の右腕を摩る。
「あの家に厄介になってた時にね」
 そうか、と思う。この人は、かつてツナギがたすけた人だった。
「だから、それは任せて」
 軽く、首肯うなずく。
「今は、休みなさい」
 子どもをあやすように、ゆっくりとしたリズムが、おなかの上で柔らかく跳ねる。彼の体温が、懐炉かいろのように心地良い。羊が、一匹。そう口にすると、ステエクの、密かな笑い声が病床を明るくした。羊が二匹、羊が三匹。ふたりで、数える。
 私は、何もかも忘れ、ゆっくりと、夢の世界へ落ちていった。




 明くる日の、午後三時半。
 駱駝色のシトロエンは、ステエクの安全運転により、燦国枢機、李宮りきゅう正門付近へと到着した。
 傾いた日は薄雲越しに柔らかく、片側四車線の大通りに、長い翳を刻む。
 路肩は、同じ目的で混雑していた。死の回廊への入場を待つ列は、長くたなびき、受付よりも遥か手前に『最後尾』の手持ち看板を見つけることができた。なるべく近い場所で、ステエクは私を下ろしてくれた。
「帰りも、ここで待ってるから」
 くれぐれも、無理をしないように。
 その優しさに、首肯する。
 彼と別れ、私は、胡桃染色のあわせに、墨色の帯。洋紅ようべにを差した余所行きで、ゆっくりと歩を進めた。
 そして、死の回廊の入場列に並ぶ。
「昨日、お店のポストにこれが入ってたんだ」
 退院後、ステエクから手渡された無記名の茶封筒には、三通の書類が入っていた。
 まず、滑り出てきたのが、名刺ほどの大きさの厚みのある紙片だった。
 身分證明しょうめい書、と記されたその下には、小さく『燦國國民タルコトヲ證明ス』と、添えられている。左下には、住所の略記。中央に、見知らぬ名前と、私より二歳年上の生年月日が印字されていた。
 ステエクが、躊躇ためらうことなく救急車を呼び、非国民たる私に治療を受けさせられたのは、この身分證明書があったからだった。
 二通目は、赤文字の簡素な令状だった。
 身分證明書と、同一の名。『右召集ヲ令セラル依テ左記日時到着地ニ参着シ此ノ令状ヲ以テ当該召集事務所ニ届出ツベシ』。到着日時は、一九三八年十月十二日、午後四時。到着地は、李宮正門広場。
 通称『緋文字』。
 内務省社会局統計課課長より発翰される、死の回廊への招待状だった。
 今夕、私は、死の媛を拝することが叶う。
 死の媛がなんたるか。その証拠を必ずや、手にしたい。
 この封筒の投函者は、先生に違いなかった。それを指し示すのが、三通目の書類だった。
 それは、落書きだった。
 裏紙に描かれた、絵心の足りないその落書きには、細長い長方形と、厚みのある長方形。厚みのある方に、人らしき絵がふたつ。矢印が引かれ、『センセイ』と記されていた。
 死の回廊の、上手前方。
 どうやら、そこで待ち合わせましょう、ということのようだった。
「カレーライス、作れますか?」
 先ほど車内で、ステエクにそうお願いした。彼はこれから、臨時休業中のレストランみかどへと赴く。
 先生への返礼は、それしかないでしょう。
 カレーライス。
 しかし、私が、みかどでその席をともにすることはない。会場で、待ち合わせることも。
 ステエクに、会うことも。

 李宮正門広場内に、死の回廊は聳立しょうりつしていた。
 嘗て目にした設計図どおり、長さにして、五十けん。十二日間で施工された割には、威厳のある、しっかりとしたものだった。白く塗装された処刑台は、二年半ほどの月日を経て、ところどころ燻んではいるものの、夕日を浴びて凛然と立ち、人の眼を釘付けにする。
 同じ全長の、純白の中引幕が設られており、燦国国旗の懸垂幕が、等間隔に五枚並ぶ。それに昏い翳を落とすのは、四十人の死刑囚たち。
 彼らが身動みじろぎ、舞台を踏み締める度、木材の軋む、厭な音が耳についた。床材は、あまり良いものを使っていないようだ。
 一方、観覧席では不思議な現象が起きていた。
 私よりも先に入場した人々は、観覧席の後方に群を成していた。ことごとく、誰も、舞台の前方へと進まない。
 公開処刑など、見たくもない。
 そんな様子がありありと見て取れた。見たいから、並ぶのではない。見たくないから、並ぶのか。
 その状況で、上手前方に赴くのは至極不自然なので、一ずは後方に身を落ち着けた。
 足許は、石畳。
 掘り返した形跡はない。
 浄化祭儀の定刻まで、残り三分を切ったところで、私は人を掻き分け、前方へと移動した。
 先生の、涅色くりいろのお姿を確認し、その斜め後方、人五人分ほど離れたところで立ち止まる。
 後方がすし詰めなのに対し、前方には空間の余裕があった。前方は一様に、緊張と不安に表情を強張らせている。先生の、幽かに窺える横顔は、無だった。
 私を探す様子もない。
 一分前。
 遠く下手に、くろんだお姿を拝した。たなびく黒が、バレリイナのように膝を折り、背面上方の燦国総統閣下を振り仰ぐ。
 死を祝福する、鐘声と、喝采。
 総統閣下に、敬礼を。

 処刑の、始まり。
 処刑人、死の媛さまは、亡霊のように、ゆらり、回廊上を蠢動した。
 ヒイルを鳴らし、床材を軋ませ、少しずつ近づくそのお姿は、ヴェイルを纏い、その容貌を窺い知ることはできない。死刑囚の前を、ひとり、またひとり。ゆっくり、ぼうと、素通りしてゆく。まるで、彼らが、存在しないかのように。
 死の媛さまの背丈は、女性にしては、やや高いようだった。
 近づいてくる。
 誰も、処刑せずに。
「コロセ!」
 観覧席の、中央。
「コロセ!」
 苛立った誰かが、処刑人を煽り立てた。
 周りが、にわかにざわつき始める。
「コ、コロセ!」
「コロセ!」
 狼煙のように、次々と声立ち、気怠げな処刑人を囃し立てる。
 彼女は、それを一瞥し。
 天を見上げた。
「            」
 見上げる彼方には、赤らんだ雲が、薄くくばかり。
「              」
 何かを、口ずさんでいる?
「シノヒメサマ!」
 その掛け声に、天から、死刑囚へ。
 死の媛さまの面が、急速に、下方へと降りていった。私たちへ、つと、背を向ける。
 一人目。
 背後の中引幕が、血飛沫に穢れた。それは正視に耐えない、無惨な処刑方法だった。
 今度は、回廊上が俄かに騒がしくなる。そうやって死ぬんだ、と思い知った、残りの三十九人は、思い思いに発狂し始めた。
「いやああああ!」
 泣き叫ぶ少女の口に、銃口が捩じ込まれる。銃声一発。
 頭部が、破裂する。
 続けざまに、三人目に向けられたリボルバーは、左手に握られていた。
「え?」
 惨酷な場面に浅くなった呼吸が、さらに或ることに気づき、止まる。
 引き金を引いた反動で、彼女の右腕は振り子のように振れた。
 不具。
 壊されたのだ、と直感した。
 死の媛さまは、三名を浄化し終えると、また、歩き始めた。ヒイルを鳴らす、亡霊。
 それ程までに壊されたなら、生死の境をも彷徨ったことでしょう。
 ツナギも、同じ目に遭う。
「落ち着いて」
 ふるえの止まらない躰を、右手で掻き抱く。爪を立て、痛みを教える。
「止まれ」
 深く、息を継ぐ。
 死の媛さまのお姿を、眼前に望んだ。凛然たる、燦国の正義。
 その時だった。
「雨さま!」
 発してはならない一言が、場内を稲妻のように引き裂いた。
 しん、と。
 数千人が、息を呑む。
 その声の主が、おもむろに私へと振り返った。両手の親指と人差し指で、長方形を象る。「撮れ」という、合図。
 私は、懐から改造銃を取り出した。
 どうなってもいい。
 照準を、死の媛さまへ。
 それに気づいたか、あるいは、私の存在に気づいたのか。
 彼女は、脱いだ。
 その、黒いヴェイルを。
 天渺宮てんびょうのみやさま。
 ご存命であれば、十九歳。
 立て続けに、引き金を引いた。
 仕込まれた閃光弾は、爆音とともに、死の回廊を白の世界へと一変させる。
 私の意識を、道連れに。 




 ツナギとともに、堕ちたかった。
 彼が堕ちたなら、私も堕ちよう。再会はなくとも、同じ道を辿ろう。彼が拷問を受けるなら、私も受けよう。彼が死ぬなら、私も死のう。
 私は、それを願った。
 スパイ、失格。
 人としても、失格。
 それでも、彼のいない世界など、考えられなかった。
 生き永らえる意味を、見出せなかった。
 うまく、堕ちられただろうか。
 改造銃に仕込んだマイクロフィルムは、どうなっただろう?
 私はどこを、壊されるのかしら。
 まだ、眠い。
 カレールーの、匂いがする。
 誰かのはしゃぐ、声がする。

「起きた?」
 鷹揚な声で、目が覚めた。声の主は、ステエク。
「お早う、絢ちゃん」
 しかし、私を覗き込んでいたのは、丸眼鏡を外した、先生だった。
 青海原のような、綺麗な眸。
 起きようとすると、先生の華奢な腕によって、優しく阻止された。
「わけは、聞いたよ」
 菱目の天井は、我が家でも、ステエクのアパートでも、病室でも、牢獄でもなかった。
「また、頭打っちゃってるから、安静にしてないと駄目だよ」
 私は、セティに寝かされていた。躰には、水浅葱あさぎの肌掛け布団。辛子からし色の背もたれも、初めて見る。
 美事な、シャンデリア。
 ステエクが、先生越しに私を覗き込んだ。
「ちゃあんと、絢ちゃん、やり遂げたんだよ。いささか、はちゃめちゃだったみたいだけど」
 なんのことだか、わからなかった。どうしてこの二人が、一緒にいるのかしら。 
「見てみる?」
 ステエクに言われるがまま、指し示された方を見た。白い、大きなロールスクリーンが、天井から引き下ろされている。こんなもの、ふつうのご家庭に備わっているとは到底思えなかった。
 もしかして、ここは?
「僕の家の、居間」
 先生が、ご名答、と言わんばかりに、ふわりと笑った。
 シャンデリアの明かりが、ふっと消える。代わりに灯されたプロジェクターの光が、先生のお姿を陰絵に変えた。
「好きな人が変わってしまうのは、悲しいよね」
 カシャリ。
 乾いた音が鳴り、ある風景が、スクリーンに映し出される。
「いっそ、死んでくれてたらなと、思うこともあるよ」
 それは、死の媛の装束に身を包む、天渺宮殿下の、はっきりとしたお姿だった。
「雨さま」
 その名を、呼ぶ。
「それでも僕は、生きてゆくよ」
 先生の訣意けついは、数年間の苦悩を微塵も感じさせなかった。
「凡てを、認めて」
「認める、」
 先生の独白を、咀嚼する。
 雨さまが、人を殺していても。
 誰かに壊されていても。
 ありのままを、受け入れていく。
 私には、難しい。
 スクリーンを、凝視する。
 少し大人に近づいた、この世ならざる美。
「この寫眞は、誰が、撮ったのですか?」
 少し、沈黙があった。陰絵の二人は、互いに顔を見合わせたようだった。
「じゃあ、説明しましょうかね」
 目の前の陰絵が立ち上がり、スイッチの乾いた音とともに、シャンデリアが再び灯される。死の媛は、スクリーンの中へと消えていった。
「その前に」
 視界から消えた、先生の声が弾む。
「カレーライス、食べてもいいかな?」

 絶対安静の私のため、彼らは板張りの上、セティを囲むように胡座あぐらを掻き、遅い晩食を頂いている。私には、程よい温度の野菜スウプ。ステエクが不慣れな手つきで、私の口へとスプウンを運ぶ。
「美味しい」
 先生は、一口、カレーライスを頬張るごとに、その言葉を添えた。
「美味しい」
 満面の笑顔。
「ここで、作ったの?」
 掛時計は、十時を指していた。
「さすがに、そんな余裕はないよ」
 目の前のステエクが、ふつふつと失笑する。
「小鍋に移して、先生に持ってもらった」
 ライスは、ランチボックスに入れてきたとのことでした。彼らは、ランチボックスにカレールーを直接入れ、かちゃかちゃ、掻き混ぜながら食べていた。
「本当に、夢のようです」
 先生は、幸せそうだった。
「絢ちゃんは、どこから覚えてないの?」
 また、一口。
 美味しい、と添えてから、私に尋ねてくる。ぼんやりする頭に、私は自問した。
 確か、退院して。
「先生のお手紙を、受け取りました」
 少しずつ、思い出そうとする。
「身分證明書と、」
 うんうん、と、先生が首肯く。
「それから、」
 引き出しが、急に消えて、なくなった。そんな感覚を覚えた。
 言葉に窮する。
「そこからが、わからない?」
 はい。
 素直に答える。
「それ、昨日の時、相当強く、頭を打っちゃってそうね」
 スプウンを置き、こちらを心配そうに覗く。
「後遺症が残らなければいいけど」
 いっそ忘れるなら、凡て忘れていたかった。そう思ったことは、彼らには言えようもない。
 先生は、私が失った記憶を補填してくれた。
 先生が、レストランみかどに、偽物の身分證明書と、緋文字を届けたこと。「先生はここにいますね」と、メモを添えたこと。
 死の回廊で、先生が「雨さま」と叫んだこと。
 ヴェイルを脱いで、と、ジェスチャアで、死の媛さまに頼んだこと。
「そしたら、絢ちゃんが閃光弾を撃ちまくって」
 そのまま、卒倒したこと。
「慌てて駆け寄って、ピストルを回収して」
 具合が悪くなった私を、場外へと運び出したこと。
「僕は、官吏だからね」
 検問も受けず、怪しまれもせず。
 リントヴルム団が、慌てて場内を封鎖するのを傍目はために、脱出しおおせたこと。
「僕は、」
 ステエクが、後を引き継ぐ。
「絢ちゃんを死の回廊まで送迎した。そのまま、路肩で待ってた」
 カレーライスの準備を君に頼まれたけど、心配で、とても、離れられなかった。
「派手な銃声が聞こえて、慌てて、受付の方まで走って行った」
 すると、私をおんぶした先生に遭遇した。
「車の中で、事の顛末を聞いて、絢ちゃんのピストルを調べたら、マイクロフィルムが出てきた」
 ああ、と思う。
 私は、ツナギが改造した、トカレフのカメラを使ったのだと確信した。使い勝手がいまいち、と彼がぼやいていた、失敗作。
 きっと、事を大事にして、捕まるために。
「かなりの枚数、撮れているようだった。それを先生に伝えたら、見てみたい、家にプロジェクターがある、そう仰ってね」
 それで、カレーライスと絢ちゃんとを持参し、先生のお宅にお邪魔した。
 それが、私の失った記憶の全内容だった。
「だから、さっきの死の媛の寫眞は、絢ちゃんが身を挺して収めたものだよ」
 ステエクの大きな手が、私の髪を穏やかに撫でる。
「まったく、無茶をするなと、あれほど釘を刺したのに」
 その表情も、愛情に満ちていた。
「僕も、撫でたいなあ」
 相変わらずの、先生の口ぶり。
 少し、可笑しい。
「あ、笑った」
   先生がその様子を見て、破顔する。
「絢ちゃんは、笑ってる方が余程素敵だよ」
 ステエクも、柔和な笑みを湛える。二人の手が、添えられる。
 私はどこか安息し、軽く目を瞑った。





 新しい朝は、世界が壊れてしまいそうなほどに美しく、あなたのように朗らかだった。
 十月十三日。
 陛下たちは、無事に嘉国へとお戻りになられたでしょうか。
 かたわらには、ステエクがいる。
 ツナギと暮らした家。
 その、屋上。
「これでいい?」
 初見のステエクに、伝書鳩のエース、もみじは物怖じしなかった。大きな手によって通信筒が取り付けられるのを、柿目をくるくるさせながらも受け入れている。
「それでいいわ」
 ツナギ愛用の籐椅子に腰掛け、私はそれを見守る。
 いよいよ、もみじの出番です。
 死の媛が天渺宮殿下であらせられる、その証拠寫眞を、もみじに託すことにした。
 これで何かが、変わるといい。
「前に一度だけ、鳩を飛ばすのに立ち会ったことがあるけど」
 十年ほど前の記憶を、ステエクは目を細め、懐かしむ。
「出立の合図は、変わらず?」
 どうなのでしょう?
「やってみたら、わかるわ」
「了解」
 新主人が、もみじを抱く。嘗て世話をしていただけあって、こなれた手つきだった。
「僕が、飛ばしても大丈夫かな?」
 大丈夫です。
 お願いします。
「じゃあ、」
 腕を伸ばし、空へ。
「グルース!」
 逞ましい、羽音。
 行ってきます。一声、鳴いて、もみじは飛翔した。
 西方、嘉国へ。
 その姿が見えなくなるまで、ステエクが手を振る。
「にしても、一日二日で帰ってくるんだから、鳩はすごいよね」
 もみじを解き放った両腕が、私へと伸びた。彼に掬われるまま、鳩のように、此の身を預ける。
「もみじは優秀だから、明日には戻るわ」
 ツナギが育てた子なのだから。
 そう、彼だって、きっとここへと帰ってくる。
 例え、壊れていても。
「信じて、待つわ」
 そう言うと、ステエクは、困ったな、とぼやいた。
「そしたら僕、ツナギと大喧嘩だよ?」
 ハムライスの売り上げが減ります。その言葉に、うっかりと笑う。
「はい」
 そうかも知れませんね。
「それでも、待つわ」
 絶望する悪魔なんて、らしくない。
「信じる」
 見上げた空は、どこまでも美しい。



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