憂鬱なときはスタバ 2024.05.17.

9時30分起床。

慌ててフィアンセとシャワーを浴びる。
朝食を食べて,髪を乾かして,バレエのレッスン着に着替えて,家を飛び出す。

バレエのレッスンに少し遅刻。まぁ,いつも通り。

レッスンの教室は狭く,人数が多くて,動きづらい。
前の教室が好きだった。実家の近くにあったバレエ教室は広くて,レッスンにはいつも,独特の緊張感が漂っていた。
今の教室は少し,物足りない。毎度,不完全燃焼。
でも,良いところをみつけて,少しでも上手く踊れるように,努力する。

大学に向かう。やるべきことを考えて,少しナーバスになる。
フィアンセに電話をかける。少し気が紛れる。
大学の最寄駅で,スタバによって,カフェモカを頼む。

ナーバスなときは,スタバが効く。
ドリンクに600円払うのは贅沢だと思うが,これは自分のご機嫌の調整代金なのだ。

Slackをチェックする。ついつい,noteを書いてしまう。
noteが一週間続いている。Yatta!

来週20日の月曜日までに提出しなければならない,学会発表用のポスターに着手するべく,今日はスタバを買ったのだ。スタバ分,やるぞ。
でも気合いを入れすぎるとしんどいので,ユーチューブでも観ながらやりましょう。
このくらいで,ちょうど良い。

ふと,とりとめのない考えが過ぎる。
私には,男女の師弟関係,信頼関係みたいなものが,全く理解できない。
特に,兄ー妹,みたいなやつ。
私の知り合いで兄をもつ女性は,私の母親を除いて全員,性格が捻じ曲がっていて,周りからやたらと嫌われている。
よって私の愛すべき親しい友人は皆,ひとりっ子か,姉妹なので,兄ー妹の関係性について考察する材料を,私はもっていない。
何が言いたいのかというと,フィアンセは妹がいる兄なのだが,その生態は私にとって未知の世界で,毎度,様々なことに戸惑う。
「私の全てを知って理解してくれる」異性,という存在を,私は持ち得ないので,その悲しみとやるせなさが,胸に重たく響く。
その感触が嫌いで,感じたくなくて。嫌になる。

よし,締切が近いポスターに着手しよう。よいしょ。
書くことで,自分を鼓舞する。

フィアンセの帰りがほんの少し期待よりも遅いのが,私を悲しくさせる。
お腹に重たい鉛があるように感じる。
こんなことで悲しくなる必要はないって,わかっているのに,ひとつひとつが悲しい。
彼の一番にもなれず,親の一番にもなれず,悲しい。
どうしたら,一番になれるんだろう。おそらく,一生無理なのだ。
明らめる。明らめてからが,試合本番。

徒競走の一番みたいに,人間が一番になれるのって,オリンピックとか,競技しかないのかな。
誰かの一番になれないのが悲しくて,私は今日も論文を書く。
研究のポスターをつくる。
だって,研究発表では優秀賞があるから。一番じゃなくても,200人中の10人に選ばれることができる。
卒業論文も,卒業制作も,これまで出した論文も,少なからずそんな気持ちがいつも傍にあった。

目標を達成しても,結局誰の一番にもなれなくて,悲しくなってたくさん泣いた。親友の前で,沢山泣いた。目標を達成しても,私を一番にしてほしい人は,私を一番にはしてくれなかった。彼からは,「おめでとう」の一言も,なかった。
目標を達成してもしなくても泣くなら,達成して泣いた方が,まだマシだ。

修士では一番になりたくて,どうしても一番になりたくて,頑張って一番になった。嬉しかった。
でも私は修士のときみたいに,一番になるために一生懸命頑張っても,彼の一番にはなれない。彼の好きなものや人の一部を構成する一要素にはなれるけれど。

それで良いんだ。それで良い。
これからも,一番になりたかったら,研究を頑張ることにする。
明らめる。明らめてからが,試合本番。

彼が自分の思い通りにならなくて,いじけるのは簡単だし,それで嫌いになるのも簡単。イージーだ。
ここで,相手に関する不快感や違和感から,自分の欲求やコンプレックスを見つめて,それを自分のために言語化し,現実を受け入れるのが,結婚だと思う,私は。
それが,一生ひとりの人間と向き合い続ける,私なりのやり方と,覚悟だ。

そんなことを考えていたら,彼から,「早く帰るために特急電車に乗る」と連絡が来た。私の不機嫌を察知したようだ。はぁ。嬉しくない。
こんな風に甘やかされると,「不機嫌を表明すれば,彼がそれを察して,物事が自分の思い通りに行く」と,私の脳に刻まれてしまう。私はすでに,この手の成功体験を,してしまっているのだ。はぁ。
まるで私は,こどもだ。
彼はこれまでもこんな風に,人を甘やかしてきたのだろうか。
彼から甘やかされていた人と現在進行形で甘やかされている人が,とても羨ましい。

彼とのこんな風な複雑な感情と,意味のないやり取りに,1時間。

よし,ポスターをあと20分間は集中して進めよう。
心に決めた。
明日は何時間,ポスターを進めようかな。
そういえば,生理が来た気がする。

お昼ご飯を食べ忘れてしまった。胃が痛む。
7時に家に着く。簡易書留を受け取る。

今の気持ちがハッピーじゃなくても,こうして書くことで,少し救われる。
ハッピーよりアンハッピーの方が,物語になる。

彼に,アイブロウを処理できるかと尋ねられた。
「やりたい」と答えた。これまでは妹か母親にやってもらっていたからと。
最近は妹と会えないから,私にやってほしいとのこと。
そうだよねぁ。私はやっぱりあくまでも,誰かの代わりでしかないんだなぁ。
彼の妹の代わり。彼の母親の代わり。彼の友達の代わり。
じゃあ,私じゃない誰かに,頼んでくれたら良いのに。
どうして,誰かの代わりをしなきゃいけないんだろう。

研究でしか,唯一無二に,なれない。
だから私は今日も明日も,研究を頑張る。
誰かの一番にはなれないから。

5年程前に,タイタニックを観て,最後のシーンで悲しくなった。
ジャックはローズに,自分の命を犠牲にして,船の板を渡すシーン。
恋人とか,何とか,関係なく,私にはジャックはいないよなぁと,しみじみ感じたのを,よく覚えている。
私は誰かの,唯一無二には,なれない。

私のフィアンセも,ジャックのような究極の場面では,私を選ばないだろう。
もし川で,彼の大切な人が何人か溺れていて,そこに私がいたとして,彼はきっと悩むはずだ。
そして,私は多分,選ばれない。
彼から選ばれたとしても,私はただ,罪悪感に苦しむ。
彼に”選ばせてしまった”という,後ろめたさに,苦しむだろう。
その所為で,彼の大切な人を失ってしまったら,私は申し訳なくて,彼の前から消えるだろう。

唯一無二とか,特別について考えるときはいつも,この「川で溺れたら理論」を持ち出すのが,私の癖だ。

母親が,父親以外の人と付き合っていたときも同じ。
不倫について,Yahoo知恵袋で調べていたとき,「究極,不倫している人は,自分の子どもと不倫相手が同時に川で溺れていたとき,どっちを助けるのでしょうか?」という質問があった。
ベストアンサーは,「トウゼン,フリンアイテ デショウネ」といっていた。
その瞬間に,私の子ども時代は終わった。

自分は人から愛されて当然の存在で,川で自分が溺れたときには,親が助けてくれるものだと,信じて疑わないのが,子どもだ。
大人は違う。溺れても,自分の信頼している人が,自分を助けてくれるとは限らない事実を知っているのが,大人。
「誰かにとって,私以外に大切な人がいる場合,私は選ばれないのだ」と,理解することが,私を大人にさせた。

だから,大丈夫。川で溺れても,そのまま死ねるように,毎日悔いなく生きる。せめて,研究で,仕事で,一番になれるように,唯一無二になれるように,今日も頑張る。大丈夫。

多くの人はローズにはなれないから,仕方ない。
私だって,ジャックには,なれないのだから。

今こうして,日記を書いている。
家の外で書いている。とても寒い。涙が頬を伝う。
そんな時に頼れるのは,母親しかいない。母親に何度も電話をかける。
当然,母は電話に出ない。翌日になっても,電話が折り返されることも,ない。それでも,電話をかけ続けられる相手がいるということが,私にとっては重要だ。
私が何度も電話をかけても,大丈夫な人が,この世にいる。
何度かけても,応答がないから,少し悲しくなる。でも少しだけ。すっごくじゃない。
婚約しても,親がいても,人って孤独だなぁ。
電話をかけられる人がいて,幸せだと,思わなきゃいけない。
こんなに孤独でも,寂しくても,婚約者がいて,親がいて,友達がいて,仕事があって,お金があって,家があるのだから,幸せでいなきゃいけない。
「アタエラレテイルモノニ,メヲムケテ。シアワセハ,ジブンノ,ウチガワニアルノダカラ。」

今日が,終わらない。
今日が,終われない。

沢山泣いても,現実は何も変わらない。仕方ない。
明らめる。明らめてからが,試合本番。

2時頃に就寝できた。上出来だ。

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