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改めて、私自身の事を書こうと思います。

現在小学生のママです。

息子と娘は年子です。

元幼稚園教諭で
現在は保育士をしています☺️

幼稚園の頃から
あまりのブラックさ、
職場のパワハラ、イジメなど…

辞めようとずっと思い続けて…

ある時から、辞めようと
思わなくなり、

保育士の仕事に
どっぷりハマっています😚


年々、
毎日が楽しく過ごせています。

それは私自身が変わった事が
非常に大きいです😊


以前は、自分の周りに起こる事、

全てっていう程、(自分のせい)
と本気で思っていました。

人の顔色も伺ってばかりでした。


自責と人の顔色見るのとで
忙しく、そして、
しんどかったのですが

それも感じない様にして
見せない様にして、
騙し騙し生きていました😱

でも!今は全然、違います。

ここ何年かになってから変われたんです。

なぜか?気付けたからです。

気付いたからこそ、変われて

生きやすくなりました。

人生が更に楽しくなりました。


そんな私の幼少期からを
書いていこうと思います。

長くなるかもしれませんが、
お付き合いいただければ
嬉しいです💖


〇幼少の頃〇


 幼稚園の頃は、簡単に表現すると

マイペース・ぼーっとしてる子でした。

私のことを知る人は
そこまで驚かないのでは?😅


担任の先生に

「すごくマイペースで平和主義です」
と言われていたお墨付きです😆


争い事が苦手で友達同士で

喧嘩した記憶もない平和主義でした。


友達がおままごとで


「私ママしたーい!💢」

「私がママするのよー!!💢」と


パワフルに喧嘩している時も


(すごいな~)
て心の中で思いながら、


仲良しの友達と

いつも残っている役をしていました。

(仲良しの子もおんなじタイプ…)


残り役でも全く不満もなく、
何も気にせず、遊んでいる子でした。


むしろ、
(なぜ友達はそこまでママ役がしたいのか?)


(喧嘩までしてやりたいものなのか?)が

理解できず、

不思議に思っていたくらいです。


とても恥ずかしがり屋だったため、

誕生日会などで自分の誕生月でも

みんなの前に出ていくのが

本当に嫌で泣いていました。


ものすごく嫌なのに、

先生は全力で、(前においで)
て言うんです。


私は、誕生児席ではなくて、

みんなと同じお祝い席で参加して

見ておくだけで良かったので、

(ひどいな)て思ってました。


先生、ごめんなさい(笑)

今なら先生の必死な気持ちわかるよ…


でも印象に強く残っているくらい

嫌だったので、


保育中や子育てで、

子どもが嫌がっている時に、

思いも聞かずに

無理強いする事はしたくないんです。


幼稚園や保育園は一人の先生で

何人も見ます。


私も幼稚園の担任時代なら

子ども30人を1人で担任していましたが

子ども30人にそれぞれに思いがあるのです。


好き、嫌いも含めて、

やりたい、やりたくないの思いが

個々にある子ども達30人を組みながら

保育を進めていくのは

いつも頭を悩ませていました。


先生主導で保育を進めていくことは

できますが、

子どもの思いを無視する様で

子どもの思いをとても大切にする保育を

心掛けています。


それから、他にも忘れられない

ショックな事がありました。


この出来事も確実に今の私の保育に

大きな影響を与えているんです。


「自由に絵を描く時間」が
あったのですが、

私はいつも描くのは縄跳びをする自分を
描いていました。


とにかく縄跳びをするのが好きだったので、

その楽しい時間を描くのも

好きだったのですね。

でも、その絵を見て、

大好きな先生が言った言葉は、


「また、縄跳びの絵なの?」と

まるで、同じ絵を描くことを

責めるみたいに、無表情に聞いてきました。


「うん………」


その一言で、幼児の私が

どれほどのショックを受けたか

分かりますか?😰


1つの絵ではなく、
色々な絵を描いていた友達は

褒めてもらっていました。


子どもでも言葉にのったニュアンス、

表情から色々なことを悟ります。


それは見事に色々と察するのです。


そして、どんどん、臆病になり、

自分の思い、自分の本心を
言わなくなったり、

表現できなくなります。


だから、

私は、子どもの描いた絵、

作った物など

何か子ども達が行動したことは

絶対に否定しないこと、


頑張った所や工夫している所を

褒める事を現在も強く、心に留めています。


これらの体験から、

私は無理強いしないこと、

子どものしたことを否定しない、
褒める事を体感で学び、心に留めて、

子育てや保育に反映させています。


幼稚園の頃の先生の記憶は

後々、アルバムを何度も見るので、

思い出と共に顔も忘れずにいれるのですが、

アルバムにも乗っていない先生が

ずっと私には記憶に残っています。


衝撃だと思うのですが研修の先生でした。

すごく優しかったのはもちろん、

自分の思いを分かってくれて、
褒めてくれたりしたことで
とても印象に残っているのですよね。

子どもの気持ちに寄り添える先生て
経験年数ではないですね😌



〇小中学校〇

小学校になった私は、友達の影響もあって

随分と活発になった様に思います。

リーダーシップは取る方では
なかったのですが

運動も勉強も
全力で取り組んでいたり、
普通に発言などもしていました。


でも、中学校に入ると

一気に引っ込み思案になります。


なるべく目立たない様に

行動していました。


一つは同級生の目、
二つ目は先輩の目でした。

厳しい先生もいたし、校則も
うるさかったので悪い学校では
なかったのですが
転校してくる人がどの学年も
やんちゃでした😂

そのやんちゃな先輩に
呼び出しされた同級生もいて…
呼び出しと言っても先生が通る様な
ピロティでの呼び出しなんで、
話される、だけなのですが
当時の私達は怖かったのです。

先輩にも目をつけられたくなくて、

同級生の中でも浮きたくなかったので、

あまり自分を出さなくなりました。


目立つことを嫌い、周りには
分かるくらい全力で努力している人は

( なんか、格好悪いな~ )
て思っていたんです。


体育の授業や運動会で負けると
全力で悔しがったりしている子にも
衝撃を受けたし、

(こんな事であつくなってて、
はずかしくないのかな…)
とさえ思っていました。

本当に失礼ですよね。

(こんなことで悔しいの?)

(こんなに感情を出して
恥ずかしくないのかな?)
とも思っていました。

でも、良く思えば友人が練習から
思いっきり努力していた事に
気が付きます。


私は、練習の時でも一生懸命に
取り組むのが格好悪いと思って
真剣に努力もしなかったので、

勝っても負けてもどちらでも
良かったんですね。


でも一生懸命な友達を見て、

一生懸命に取り込むのも

悪くないかもしれないと

少しずつ真剣にやってみようと気持ちが

変わります。


とはいえ、中学の時は

みんな多感な時期だったこともあり、
本人の前では普通に過ごして、
陰ではものすごい悪口の嵐でした。

怖いですよね😱

(悪口は言われても

絶対に言っては駄目だよ)

とずっと祖母からも母からも
教えられて育ったので、


悪口を言い合う雰囲気が

私は嫌で仕方がありませんでした。


例えば、男子と少し話すだけで、

(その子の事が好きだ)
と噂されるんですよ。


挙句の果てに、

その子が人気の男子だったら、

散々に悪口言われたり、


はたまた、(奪おうとしている)
と無視される…

(奪うも何もねぇ・・・話しただけ・・・)


そんな事にも疲れていて、

(目立たない行動を取ろう)
に拍車がかかります。


同じ様に感じていて、

気も合い信用できる友達が数人が、

私の心の支えでした。


先ほどにも書いた様に

大体は、男子絡みで…

たまたま人気の男子と席が前後になって

会話しただけで、

クラスの女子から一斉に無視が始まったり、

悪口を沢山言われまくる、
変な噂を立てられるという波が
何度もありました。


私はいわゆる少数派で、

大勢でつるんで誰かの悪口を言う事も

誰かを無視することもなかったので

対象になりやすかったと思います。


休み時間になると仲良しの子に

会って話せるのが救いでした。


人間不信までは言いませんが、

軽くそれに近かったので本心は
仲良しの子にしか言えませんでした☺️


学校では一切、自分を出さずに
過ごしました。


中学生活か終わる時には

(ようやくここから離れられる)
と思い、本当に晴れ晴れとした
気持ちで嬉しかったです。

受験の時は、親が勉強にも厳しく、

「行く高校は、上位4校まで」と

決められました。


落ちて叱られたり想像するだけで

怖すぎましたが

あんまり根詰めて勉強できるタイプではなかったので

なんとか3番目に入学しました。


ここで、私の親のことをお話しますね。


両親はとても厳しかったんです。


父も母にも小さい時は「可愛い」と
育てられた記憶はある様な気がしますし、

とても厳しかったですが、
それが愛されていたからだという
自覚はありました。

でも子どもの事を
他には特に褒める様な事はなかったです。

沢山遊んでもらったり、

お出かけも色々とした記憶はあります。



が、両親は、

”大人が絶対”の

”親ファースト主義”でしたので、


子どもの私達が

口答えやだだをこねるのは
大大大嫌いでした。


子どもらしく「あれ、買って」

「これ欲しい」なんて

一切タブーで言ったことは
ありません。

お誕生日とクリスマスのプレゼントに
欲しいものをもらう、


服などは4ヶ月に1回買うのが

毎年の決まり事なので、
それ以外のおねだりは通用しません。


お小遣い制ではなく、

必要な物はその時にお伺いを立てて

お金をもらい買っていました。


とても窮屈に感じていたので、

自分で好きな物を自由に
買ったりしていたお小遣い制の友達が
とても羨ましかったです。


おなだりもですが、
いわゆる駄々こねをして、

何かを聞き入れてもらった事は

記憶にはありません。


例えば、子どもに食事を選ばせるのは

(甘やかしだ、あり得ない)
という考えでしたので、

外食は親が決めた所に食べに行きます。


もちろん、テレビのチャンネル権は

親です。親がテレビを見れる時間帯は

子どもがどんなに見たい物でも

見せてはもらえません。

いつも親の見たい物でしたね(笑)


週末の家族の日や

旅行なども親が決めていたと

記憶しています。



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