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【連載小説】小五郎は逃げない 第9話

【15秒でストーリー解説】

明治維新を成し遂げた幕末の英雄・桂小五郎は、剣豪でもあった。「逃げの小五郎」と称された彼は、本当に逃げ続けた人生を送った人物だったのか。

桂の絶体絶命に危機を救った男は、京の街を震撼させていた「人斬り」こと岡田以蔵だった。幾松奪還を諦めない桂に新選組と戦って万に一つの勝ち目もないと伝え、身をもって暗殺剣の極意を伝える。暗殺剣の前に成す術もなく打ちのめされた桂は・・・。

以蔵は果たして桂の敵となるのか、味方となるのか。そして剣豪・桂小五郎は最狂最悪の殺人集団・新選組から幾松を奪還することができるのか。

愛する女性のために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

四条大橋 3/4

「この役立たずがぁぁぁぁ!」
 土方の怒号と共に鉄拳をまともに食らった斎藤が、壬生の屯所の軒先まですっ飛ばされた。土方の横には同じく斎藤より先に鉄拳を食らった永倉が、頬を撫でながら土間にへたり込んでいた。斎藤から桂に逃げられたとの報告を聞くや否や、二人は土方から嫌と言うほど殴られた。
「おまえら目の前まで桂を追い詰めておきながら取り逃がしておいて、何故おめおめと屯所に戻ってきたっ!」
 土方の怒鳴り声は止まない。
「申し訳ございません。まさか増水した鴨川に飛び込むとは思いも寄らず・・・」
「言い訳などするなぁ!」
 土方は永倉たちの言い分を聞く様子など全くなかった。新選組でも一、二を争う剣豪も、鬼の副長の前では子供同然だった。
「おまえら今ここで腹を斬れっ!」
 土方の怒りは収まるどころか勢いを増して行った。二人は土間口に跪き、深々と頭を下げたが、謝ったところで土方が一度決めた裁断を取り下げるはずなどない。
 
 新選組には隊士を統率するために、局注法度という厳しい隊律があった。
一、武士道に背く行為をしてはならない
一、新撰組からの脱退は許されない
一、無断で借金をしてはならない
一、無断で訴訟に関係してはならない
一、個人的な争いをしてはならない
 以上いずれかに違反した者には切腹を申し渡すものとする
 
 この法度に背けば有無を言わさず切腹させられた。一説によれば新選組内の死者の数は、戦闘よりも隊律違反によって切腹させられた死者の方が多かったと言われている。この局注法度の最初の隊律にある「武士道に背く行為」と言う内容が曖昧なものであり、例えば戦闘後に隊服の背中が斬られたあとがあれば、本人に何の外傷もなくとも、戦闘を回避して敵から逃げたと疑念を持たれて、切腹させられたという逸話もある。
 
「いい加減にせんか、歳」
 土間の方から聞こえる土方の大声を聞いて、屯所の奥から近藤が姿を現した。
「いやっ、近藤さん、こいつらを許してしまえば他の隊士たちに示しがつかん」
 近藤がなだめたところで、土方の怒りは収まることはなかった。
「何も局中法度に背いたわけではあるまい」
「取り逃がした相手が問題なのだ。あいつは、討幕派の首領とも言える男だ。会津藩も見廻組も追っている。そいつを新選組が捕えたとなれば、我らの評価も一気に上がったものを。近藤さんもそんなことは百も承知だろうが。それを目の前まで追いつめておきながら、取り逃がすとは言語道断。これは十分切腹に値する」
「今は人手が足りんのじゃ。同時に隊長を二人も失っては、新選組が弱体化する。何らかの制裁は必要だが、死罪は何とか見逃してやれ」
「いやっ、隊長だから許されるという理屈は通らん。あんたが何を言おうとこいつらを許すわけにはいかん」
「桂と斬り合いになったときにどうする。未熟な隊士らが束になってかかっても、やつには勝てんぞ。桂を捕えるにはこいつらの剣の腕が必要になる。おまえもわかっておるじゃろうが。少し頭を冷やせ」
「ならぬものはならん。こいつらの代わりなどいくらでもおる。桂と斬り合いになればわしが出向くまでのことよ」
 土方は近藤の言うことに聞く耳を持たなかった。
 
「歳よ、試衛館でわしらが剣術の稽古に精を出してた頃のことを思い出せ」
試衛館とは近藤や土方たちが年少のころ入門していた天然理心流の剣術道場の名である。
「わしらは来る日も来る日も稽古ばっかりしておった。強ければ、ただだれよりも強ければ、いつか武士になれる日が来ると信じて疑わんかった。わしは試衛館ではだれよりも強かったんじゃが、そんな時にあいつが対外試合で突然現れよった。何試合やったか覚えておらんが、一度も勝てんかった。まるで歯が立たん。あんな屈辱は生まれて初めてじゃった。歳よ、わしらとあいつは同じ人間じゃが、剣術に関してはああも違う。何が違っておるのかのお」
 近藤の場違いに質問に土方は面食らった。
「また問答か。いい加減にしてくれ。そんな話どうでもいいだろう」
 土方は面倒臭さそうに答えた。
「いいから答えてみろ」
 近藤がしつこく食い下がる。
「知らん」
「いいから答えろっ」
「稽古の量が違ったんだろ。それとも常人離れした肉体でも持っておるのか。そんなこと、おれにはわからん」
 土方は投げやりに答えた。
 
「そう言うことなんじゃ。あいつの肉体はわしらとまるで違っておった。それは剣を交えたものでなければわからん。動きの速さも体力も、何試合やっても落ちんのじゃ。剣の技は稽古によっていくらでも極めることができる。極めた者同士が戦った時、勝敗を決めるのはもう技の範疇ではない。身体能力の差だけじゃ。技の精度もあいつとの駆け引きも、何も引けを取ってはおらんかった。ほんの一瞬じゃ、ほんの一瞬、やつの動きに対するわしの反応が遅れた。どうやっても何回やっても遅れる。だから、常にあいつは試合を有利に運びよった」
「だから、何だと言うのだ」
「こいつらの剣の腕は、ひょっとしたらわしらより上かもしれん。しかし、取り逃がした。やつは常人ではないのだ。わしやおまえが戦ったとしも勝てんかもしれんぞ。あいつと戦って取り逃がす隊士を、片っ端から腹を斬らせていたら、新選組はだれもおらんようになってしまうわ」
「馬鹿な、こいつらがただ弛んでいただけのことだ」
 土方はそう言いながら、土間でへたり込んでいる永倉の襟を右手で握り、乱暴に引っ張り起した。後は無言のまま、片手でしっしと屯所の奥へ追い払いように手を振った。奥へと消えていく永倉の後を斎藤が追った。横を通り過ぎようとした斎藤の腕を、土方が徐につかんだ。
「やつを見つけてから逃げるまでのことを詳しく教えろ」
 
 斎藤は屯所の前で桂と遭遇してからの出来事を詳しく話し出した。隊士が一瞬で倒されたこと、逃走を始めてから恐ろしく足が速く、しかもそのスピードがいくら走っても落ちないこと、斎藤は目の当たりにしていないが、刀を捨てて狭く入り組んだ路地に逃げ込んだこと、斎藤が仕留めたと思った一太刀を寸でのところでかわしたこと、一瞬の躊躇もなく激流の中に飛び込んだこと。それを聞いた土方は、腕組みをしたまま黙り込んだ。近藤の言う通りだと思った。新選組の隊士たちも、日々訓練を怠ってはいない。それが手玉に取られた。それに斎藤の不意打ちを走りながらかわすなど、斎藤の剣の腕を良く知る土方には、全く理解できなかった。もはや、桂の身体能力が並外れていることを疑うことはできない。しかも、並外れた身体能力を逃走に見事に活かしている。逃げることにかけても天才なのかもしれない。土方は無言のまま斎藤に奥へ戻るように促した。
 
「それでこれからどうするんだ、近藤さん。桂が生きているという確証もない。川の流れが静まってから、やつの死体を探していては、時間が過ぎる一方だ。生きていればその間に逃げられる」
「わしが言った通り、やつの方から姿を現してきよったではないか。逃げの小五郎が意外にも逃げよらんかったのお。あの女がこちらにいる限り、やつが生きておれば、やつの方からまた姿を現す」
「それなら、桂が姿を見せなければならない状況に追い込めばいいのだな。近藤さん、会津藩に応援を頼んで、死体の捜索を急がせてくれ。死体が見つからないとわかればやつを燻り出す」
「わかった。急がせよう」
 近藤は、土方の何を考えているかよくわかっていた。
「それと、近藤さん。もし桂が生きていて戦闘になった場合、少なくともあんたは一対一の勝負は止めてくれ。今、あんたに死なれては困る」
 土方は近藤を侮辱したのではない。新選組の行く末にために、心からそう思っている。土方の気持ちを良く理解している近藤は、にやりと微笑んで頷いただけで、何も言わなかった。
「おまえら、飯食ったらさっさと探しに行けっ」
まだ怒りが収まらない土方は、奥の部屋にいる永倉らに大声で叫んだ。
「それと、斎藤、桂に一刀を叩き込まれたおまえの部下は、明日腹を斬らせろ」
 土方は斎藤に冷酷は指示を出した。 

<続く……>

<前回のお話はこちら>


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