年末っていうのはこれだから

「年末」という言葉はなんとなく日々を急き立てる。できたこと、できなかったこと、やり残したこと、変わらなかったこと、変われなかったこと。忙殺されるなかで縁をなぞるくらいしかできなかったそれらが急に実体を表わしてくるから、少しだけ目を伏せたくなる。


この1年は、死ぬ間際にきっと思い出すであろう風景で埋め尽くされている。

昨年は、バイト先と家しか自分が存在するのを許せなかった。誰かの役に立つことや必要とされることを免罪符にしてようやく立っていた。いたいと思えるのか、いたいと思っていいのかすらわからなかった。感情を切り崩してはマスキングしてへらへらと差し出すことしかできなかった。

その中身を知りたいと言ってくれる人がいるなんて思ってもみなかった。

大事に、大切にしてもらった思い出ばかりだ。


くすぐったいような恐ろしいような、マッチ売りの少女の世界の中にいるような感覚。きっとこの火が消えたらこの幸せも温もりも消えてしまうんじゃないかって、毎日恐ろしくてたまらないよ。
でも確かに目の前にあるそれに手を伸ばさずにはいられないし、優しく、大切にしたいと思ってしまう。人間は愚かだって、多分、こういうことなのかなあ、分からないけれど。


エコじゃない、と言われたことがある。壊れかけの車をアクセルベタ踏みで無理やり走らせる日々を見て先生は苦笑していた。いつか壊れるよ、だから時々はメンテナンスをするのよ。でも私にとってはこの目の前の今がメンテナンスなんだって気がついた。人は人と触れ合うことで人になっていく、これが本当なら少しはマシな見た目と思いますが如何でしたでしょうか。

今の私だから見えるもの、考えられること、享受できること。きっと取りこぼさないなんてことはできないけど、できる限り抱きしめていたい。人でいることをあんなにやめたかったのに、日々忙しなく過ぎていく時間がいとしい。アクセルを踏むのは相変わらずでも、エネルギーは強迫観念じゃなく希望。そしてそれを見ていてくれる人がいるから、変わっても変わらなくてもきっと私は大丈夫、だと思いたいね。真っ直ぐ前を向けるよ、後ろを向いてもきっと生きていけるよ。


今年1年、noteを読んでくださった皆さまへ。たまたま読んでくださったあなたへ。どうかあたたかくしてお過ごしください。


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