下書きに残ってたもの、投入

その人が言っていることが正しい、それができたら素敵
それは分かってた。分かりすぎていた。
だからこそ、自分を責めました。


大学2年冬 軽いうつ状態と言われました
それを知っているのはごく僅かの友人と先輩のみ

このnoteをあげるのは死ぬほど怖いけど、自分の思考整理のために始めたのにほったらかしている、この方法をとってみる

私のことを知っている人は、どうかこれを読んでも騒ぎ立てないでほしいし、ましてや親には伝えないでほしい


経緯に関して詳しく書くというより、冒頭の3文がすべて

自分の弱みは、完璧主義で理想が高い、負けず嫌いで打たれ弱い

弱さが露呈する自分、勉強もできない自分、人の前に立つ自分、だらしない自分、きちんとしたい自分…
大学の私、アルバイト先の私、家族の中の私、1人でいるときの私…


いろいろいてよくわからなかった

居場所がなかった(あったのだろうけど、そう思えなかった)


その時は推しの力もむなしく、お笑いを見ても笑えず、”うつ”の判断要素を知らず知らずのうちに調べていた記憶があります

偶然連絡してくれた友達に、私は泣きながら逃げたほうがいいことは分かってると話していました。
無意識で。自分でもびっくり、これが私の願いなのか。。。?

声に出すと気づく自分の感情ってほんとにあって、ただの状態でも〇〇さんはこのように考えているようです、と第3者からのリポートにすると自分の状態を認知しやすくなります

それで、逃げてしまいました。
年末の年末に、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。

メンタルクリニックに2回ほど行って、軽いうつ状態と言われたときに、嫌な感覚はなくて、あぁやっぱりそうなのか、と納得するようで。むしろ”お医者さんに”そう言われたことで自分が逃げる理由を正当化しようとしていたかもしれません。(正式に診断書が出たわけではなく、会話のなかで言われただけです)

ここまで言及していなかったように家は落ち着ける場所ではなくて、人に頼るのもすごく苦手です
学びとしてはできない弱さをさらけ出せる強さ、そしてその尊さといったところでしょうか
(学びといえるほど学んでないというか、今も自分の弱さにへこみます)


よくそんなあなたもいて、そんなあなたもいるのね。と言われます。心理学系の授業でもそんな類のことを言っていました。

他者やもっと大きな社会・環境に原因を押し付けても、憤りはやり場のないものになってしまうじゃないか
だから私は、自分自身に原因・責任を追及するんです(負のループだとは分かっていますが)
私自身の高すぎる期待を、勝手に裏切られたと感じる経験が繰り返されてきた私は、「受け入れられる」という感覚が少なかったようです

不快な自分も、期待してしまう私も受け入れてくれるそんな世界があるのか
こんな期待をしない練習をした方がいいのか

いわゆる就職活動をしていて、どんな職場・職種でも”演じる”ということが求められるのではないか、そう思うようになりました。

今の私には、心にスキマがなくどんな演技ならできるのか、それさえも考えつきません

体験をnoteで振り返れるようになったからといって、今はハッピーエンドではありません

まだまだ苦難の日々が続きます、

これからも多くの人が心穏やかに暮らせますように




という下書きが残ってた。残していてもしょうがないので、世に出してみて、また新たなしあわせを覚えられる容量を開けておこう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?