鬱は私の味方。あきらめ力について。

友達とここ最近何日か、「仕事ができる人とできない人の違い」について話をしていました。それについてはある程度答えが見えてきて面白かった。今回直接的にこの話はしないのですが。

仕事の話は生き方にも通じる話だと思っていて、仕事ができない人って生きるのが下手だし、生きるのがうまい人って仕事ができると思うんですよね。

私は学生時代にうつ病になって不登校になって、生きるのが下手で人と関われませんでした。けど今、めちゃめちゃ仕事ができるんですよ。つまり、生きるのも結構うまくなったんですよ。
私が覚醒したきっかけとなった出来事を考えていたら、「多分これ、むしろ鬱のおかげじゃない?」って思ったので、このアハ体験を共有します。喜べうつ病患者よ。君は輝ける。


抗うつ薬の実験

こんな話があります。
2匹のネズミ(ナチュラルと抗うつ薬投与)をそれぞれ水で満たされた瓶に入れて、その結果を観察しました。結果は、2匹ともしばらく泳いだ後、、
ナチュラルねずみは早々に脱出を諦めて、体力を使わずに鼻だけを水から出して浮く方法に変更した。一方で投与ネズミは諦めずにずっと泳ぎ続けて力尽きて先に死んだ。

ここから、「諦めるという力」が如何に必要な能力なのか分かる。

この世界は、「諦めずに希望を持ってしつこく努力をし続ける」という主人公的な生き方が良しとされているが、どうやらそれは正解ではないようだ。


トライ&エラーを繰り返す

成長するためには、トライ&エラーが必須だと思います。
「トライ&トライ」で成長させることができるのは肉体くらいで、精神や思考の向上にはエラーが必要不可欠です。

しかしこれの難しいところは、人生では、「あなた今、失敗しましたよ」「そのままではだめですよ」っていう「パソコンのエラー画面のような通知」が届かないんですよね。だから自分で失敗に気付かなきゃいけないし、自分で失敗を受け入れないといけない。しかもそのタイミングも明確に「今ですよ!」というのがない。
何となくだめだなと感じたタイミングで、振り返り評価を行う必要がある。適切なタイミングでPDCAする必要があるということ。

Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)

要領が悪い人というのは大抵、PDDDをやっている。
なぜこうなるかというと、もしもCをした時に「このままで良し、成功ですよ」というアンサーが返ってこない場合、これまでの自分のPDが否定されたことになるからだ。Cができない人は、「その否定を受け入れるのが苦痛で、その覚悟もない」という。「こんなに頑張ったのに何がダメなの?」って。その場合、「あなたは十分に頑張ったからその努力は否定しないけど、その行動パターンに問題があるよ。」と伝えます。

CAのない人生の例をあげてみましょう。
例えば「私いっぱい頑張りました」というAさんと、「まあちょっとやってみただけだよ」というBさんの二者がいて、Bさんの方が良い成績を出す場合って、こんなパターンが多い。
Aさん:PDDDDDDDDDDDDDDDDD→✕
Bさん:PDCAPDCAPD→〇

改善されない努力って結構無駄な場合が多いんですね。意味のないことをいっぱいやっても意味がないんです。でも大丈夫。Aさんはこの状況を改善する方法が2つあります。
1つがPDCAを意識して生きること。そしてもう一つが、人間の本能に備わっている「あきらめる」を活用することです。

前者は後天的に身に着けることができる能力なので、是非みんな意識して実施してほしい。一方で後者は先天的に備わっている能力なのに活用していない人が多いのでもったいない。きちんと諦めることの重要性を知って、受け入れて、次の計画を立てる必要がある。

「近年うつ病患者が増えた」と言うと「昔は鬱という言葉がなかっただけで、昔からうつ病の人はいたよ」なんて聞くけど、それだけが正解だとは思わない。
今、この社会はより複雑になっていて、そのせいで正解にたどり着く事が難しくなった。それに応じて発生する「このままではダメ」という信号がうつ病だと思う。そう考えると、変化の時代である今、うつ病患者が大量発生しているのは正常なことだ。

ただ社会的に、「うつ病患者は休暇が必要だし、幸せホルモンが足りないからお薬出しましょうねー」という解決方法は誤っていると思う。
私は薬を提案されたけど断固拒否した。悩むという私のアイデンティティを奪われる気がしたから。
私はうつ病にじっくり向き合い、襲い掛かる不安を全てなぎ倒した結果人生が生きやすくなった。これが究極のスパルタPDCAだ。
けどもし私にうつが訪れなければ、多分そこそこの人生に満足してPDDD人生をやってたような気がする。

今回色々と考えてみて、ネズミの実験の話を聞いて、これまでの私の行動がConnecting the dotsした。
「私が悩むことから逃げなかったのには意味があったんだ!」と。


結構人生詰んでみたら?

うつになったとか、やる気がないとか、生きがいがないっていう人って、どのくらい人生詰んだうえでの発言なんだろうか?

私の場合はこれくらいだよーっていうのを書いてみると、一日中部屋の角に体操座りして無になって、このまま消滅することを願うけど当然苦しんで死にたくはなくて、死について考えて無になっての繰り返しで時間が過ぎる。生きてても意味がないのに眠くはなるしおなかも空く。食欲はあまりない。夜になると親がご飯を用意してくれるからひとまず台所に行くけど、死にたいと思いながら「食事という生きる行為」を行うことが苦しくて涙が溢れてご飯が噛めなくてまた隅に戻るという繰り返しの日々でした。

ここまで行くとほんとに病気なので、いっぱい寝て、日光浴びて、食べれるものを食べて、できる限り笑った方が良い。
けど、少しでも活力が沸いてきたなら、できるだけPDCAした方が良い。

私の場合は幸いにも、絶対に普通の人生を歩めないということを結構早い段階で理解できたので、それを受け入れました。
普通に朝起きて、特定の場所に行って、他人とコミュニケーションをすること。「そんな当たり前ができない私はどうしたらいいのか」ということを調べまくった。PDCAPDCAPDCAPDCA….

人生詰んでない人もうらやましいけど、多分10年後とかに幸せなのは考え抜いてる私なんだよなーって思います。

書いて欲しい事あったらいってー