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カミングアウト

 私の大切なものは、もうだめみたいです。
 それはきっと私の中で終わったふりをし続けたものでした。
 私が私自身を押し殺すことで隠し通したものでした。
 今日だって私は幸せな日常を願っていました。いえ、いつも願っているのです。私は他人任せなので自分から幸せというものを探そうとはしません。探したいという願望だけしかもっていないのです。全く行動はしません。なぜなら、私は最高値も最低値も知っているからです。
 これ以上自分を不幸せだと思いたくないのです。

 大切なものはいつか、泡となって消えてしまうものなら、私は人魚姫のように自分が泡になってしまうことを願います。大切なものが泡になってしまう苦しみを知っているからです。でも、その苦しみを他の人に与える可能性を考えると、私自身、簡単に泡になろうと思えません。それでも、泡になることを願わなければならないのは、今きっと私の大切なものが泡になりかけているからでしょう。
 私はつらいのです。
 悲しいのです。
 苦しいのです。
 周りの人たちがどれだけ私に幸せの道を教えてくれても、この大切なものは二度と戻ってきません。私が作り出すこともできる大切なものは、二度と戻ってこないことが怖くて願っても、願いきれません。それでも優しい人にすがってしまう自分の弱さを、何度も何度も呪ってしまうのです。この弱さは、逃げなのか、本望なのか。今の私にはわかりません。

 この人生という木は、いくつも枝分かれをして、可能性を広げていっているのでしょう。大切なものを守れる枝もあったかもしれません。それでも進み続けてきた、私たちはもう手遅れです。手遅れなのです。もう元には戻りません。どれだけ私が「いかないで」と叫んでももう戻ってはこないのです。みんな自分の道を歩み始めています。
「家族なんて血のつながった他人でしょ」
 これは私の強がりでしょう。弱がりでしょう。ひどい言葉でしょう。もろい言葉でしょう。厳しさでしょう。優しさでしょう。現実でしょう。逃避でしょう。
 もう、もとには戻らないでしょう。
 今までありがとう。
 もう少しの間よろしくね。
 そして、
 さようなら。

 私の大切な家族。

2019/05/11

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