名前のない文章1

 すがすがしいとは言えない目覚めの日、その1人は静かに筆をとった。眠い目をこすり、1つ、筆を動かすのである。すぅとおりた穂先は次につぅとその上を走り、またすぅとのぼったかと思えばつぅと空を切り、すぅとその上におりた。その1人は手を止める間もなく、息を吸い、息を吐く間もなく、まるでその筆にとりつかれたかのように、手を動かした。ただただその上を走り続け、空を切り、またその上を走り続けるのである。

 すぅ つぅ すぅ つぅ すぅ つぅ すぅ つぅ

 そんな音が部屋に響きながら、その1人は目を輝かせた。

 手に持ったただの筆が、その1人の感情、思い、衝動、気持ち、思考、体、手、指先によって息をしているのである。

 すぅ つぅ すぅ つぅ すぅ つぅ すぅ つぅ

 筆がその上をいったりきたり、空をいったりきたり。

 いったりきたり。


 そんなことを止める間もなく少しずつ少しずつ時間は流れ流れ……。

 その1人は夕焼け時にやっとのことでその筆の息を止めた。満足げに笑いながら、筆の走り続けた紙を持ち上げる。もう息のしていないその筆のことさえ忘れてしまうほど、その紙に描かれたものに目を奪われる。

 刹那、そこにはただの少女と息のしない筆、目を奪われるほどの紙が残った。


2019/04/21

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