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4w3だと思うこともあるよ

何の個性も持たない平凡な人にだけは絶対になりたくない。

「唯一でない=代わりが存在する」だから。
そんな無価値な存在にはなりたくない。

私の命が「代わりのある命」であってほしくない。
自分もそうだし、人はみんな「代わりの人なんてどこにもいない」と信じている。

誰もがその人しか持っていない取り柄を持っていると信じたい。

生まれてきたからには、それなりに目的があるんだよね…?


“それじゃあ、私の取り柄は何なの?”


迷い続けた。
自分に無いものを持つ人を見ては「あの人は恵まれてる、私は恵まれていない」と落ち込んだり、得意だと思っていたことでも自分より上の人を見ると「そんなもの私の取り柄ではない。その事ならあの人が代わりにできる。」と考えて自分の生きる価値が分からなくなったり……。




“私が生きる目的を見つけたい。
自分の使命を見つけたい。”


“何なの?誰か教えてよ、ねぇ…”



他人を目にすれば目にするほど、自分の欠点が際立ってくる。
嫌になってくる。


「ここが…ちょっとねぇ……」
そんな事を言われれば自分の価値がドン底まで落ちた気分になる。

「私はあの人を満足させられなかった」
その事が絶え間なく脳内を駆け巡り、激しい自己嫌悪に見舞われる。



“なぜ自分は人を不快にしてしまうのか?”


“私なんて、邪魔者だろう”



人と関わる度にそんな事を毎回考えてしまう。

「私=ダメな人だ」という認識が固定化されている。




その一方で、「自分は本当はもっと認められて良いんだ」とも思う。

私のしている事は何もかもが間違っているのではないかと不安になりながらも、自分がしている事は正しさを追求した結果であるみたいな確信めいたものもどこかある。

結果として、周りの顔色を伺いながらも頑固で意思を変えようとしない私が出来上がる。


そのうち、「私の考えを誰も分かってくれない」と世の中に失望したり。

そんなんで「きっと誰も分かってくれないんでしょ?」という思いが強くなる。



“この世の中に、私の事を理解してくれる人なんて誰も存在しないの。もしそれが嘘であるのなら、私はこんな私じゃない。”



誰も私を理解 “できない” ではなく、誰も私を理解 “してくれない” 。

もし理解者に出会えていたのならこんな後ろめたい自分では無かったと思う。私も違った人だっただろう。



“自分はダメな人だ。証拠ならいくらでもある。それを否定して自分の生きる価値を明確にするために『証明して』。”



私が求めているのは自分の存在価値を裏付ける証明。
何もないのにただのお世辞だけで「自分に生きる価値がある」と思うだなんてとても無理。

だから “それ” を常に探している。



見つからない… 見つからない…

見つからない… 見つからない…





私にとって『個性』とは自分の生きる使命みたいなもの。
心の奥底に眠る原石みたいな。

それは誰もが持っていて、人々はそれを見つけるまで自分の個性や独自性を認識できない。



“私にしか無い貴重なものとは一体…?”



──分からない。

「自分は代わりのいる人々のうちの一人として生まれてきて特に誰からも必要とされず自分が死んでもその命の価値は軽んじられる」
そんな風に扱われるのが一番つらい。

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