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22.前世の怨念

私の周りには、約400年前に生きた人達が転生しています。転生に気づくには色々なパターンがあります。私の場合には以前にお話ししたように、歴史の研究をしていたら、そこに書かれていた人物と似ていると気付いたことからでした。人間の性格は転生しても変わらないようです。ですから逆に現在の性格を観察すれば、当時の行動が理解できます。

また中には、仙台青葉神社へ行ったことで気付いた人達もいました。それは伊達政宗公の関係だからでしょう。青葉神社の西隣に、覚範寺があります。政宗公の父親の輝宗公の菩提寺です。そのお寺の境内には、保春院様のお墓もあります。保春院様は政宗公の母上の義姫様です。

ある時、私の知り合いが夢遊病のようになって、このお寺にたどり着き義姫様の墓の前で、ふっと意識が戻りました。すると今度は金縛りになって身体が動かなくなり、脂汗が流れてきました。いったい何が起きているのか分からず、ただ苦しみました。

やっとのことで、その墓の前から逃げることができました。その足で私のところにやってきて、一部始終を話してくれました。私は翌日一緒にそのお寺に行きました。

そしてその知人が、過去に輝宗公に仕えた、遠藤基信の転生だと判りました。知人は人生で精神的に追い込まれるような体験をしていました。過去がわかったので歴史を調べて見たところ、その原因のひとつがわかったのです。

彼は伊達家の家臣となったのは、重臣の中野宗時の家臣となったことからでした。その後、中野宗時が無謀を計画していることがわかり、遠藤基信は輝宗公に報告したのです。そのため、中野宗時は輝宗公により攻撃され敵方の相馬氏のもとへと逃げましたが、長居できず別のところへと移ろうとしたとき、途中で餓死してしまったのです。

自業自得なのですが、宗時は基信を怨んで死んだのでした。後で中野宗時が他人に隠れて現在の知人に悪さをしていることが判りました。前世の恨みが今世まで及んだできごとでした。

このお話しは、作り話のようですが、すべて実際にあったことです。

さて、お話しの始めに脂汗まで流したことを書きましたが、それは遠藤基信が無謀を事前に阻止したことで、輝宗公は側近として徴用するようになりました。

遠藤基信は、中野宗時のもとに来るまでは、全国各地を放浪していました。もともと福島の郡山の修験道の寺の金伝坊の息子でしたので、修験者として放浪していたのでしょう。そのため、各武将たちともつながりを持っていたのです。遠藤基信が取り持った相手は、織田信長、柴田勝家、徳川家康などがあります。ですから、当時の伊達家にとっては大変重要な人物だったのです。

輝宗公の子供である政宗公の正室となる三春の愛姫様を迎えに行ったのも、基信でした。そのようなことからも伊達家の重要人物となっていました。それから、輝宗公が拉致され死んでしまうという事件が起きました。そのために政宗公は戦をすることになったのですが、遠藤基信は輝宗公のご恩を殉死というかたちで報じたのでした。

しかし、輝宗公亡き後の政宗公を支えて伊達家を助ける重要人物でした。当然、義姫様は遠藤基信には大きな期待を寄せていたはずで、記録には残されていませんが、殉死することは禁じていたはずです。結局、義姫様を裏切って自害してしまったのです。

これが覚範寺で起きた金縛りと脂汗の理由だったのです。遠藤基信は何で止められていたのに、自害してしまったのか、それは彼の前前世がわかった時に判明しました。前前世につきましては、前世のお話しが終わってからいたしますね。

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