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生きるって、満員電車に乗ることみたいなもの

お昼を食べていたら、昼の帯番組に、アンパンマン役でお馴染みの声優・戸田恵子さんが出てらっしゃいました。

女優さんでもありながら、やはりあの声の質感は戸田さんにしか出せないもので、30年以上アンパンマンを演じてこられたのも頷けます。やはり他の方では代わりはききませんね。

アンパンマンで思い出したのが、作者であるやなせたかし先生の金言。

「生きるって、満員電車に乗ることみたいなもの。すごい満員電車でもずっと降りずにいれば、ある時席は空くんです。僕なんて終点近くでやっと座った」

そんなやなせ先生は、アンパンマンを描き始めたのが50歳、ブレイクしだしたのが69歳。世間的に見れば遅咲きの花かも知れませんが、それでもやなせ先生は、自分のキャラが日本中の人に愛してもらえて、とても嬉しかったのではないかと思います。(うちの娘ももれなく、アンパンマンのお世話になりましたよ)

私が敬愛する元漫画家で、今は画家の柴田亜美先生が、水木しげる先生にインタビューしたときの言葉が物凄く深かったです。

「殺すぞって脅かされても好きな事やって仕事爆発させないとダメ!そうすると神さんが認めて援助してくれる。でも、いい加減な気持ちでやってると貧乏しちゃうよ。」

どうですか?やなせたかし先生も、水木しげる先生も、お二方とも深いこと仰ってると思いませんか?
だったら私の今回の純展での入選も、神様が認めて援助してくれたということでしょうか?自惚れていいのでしょうか?(すぐ図に乗る)

水木先生は、漫画で賞を取ったのが43歳頃。やはり世間的に見れば遅咲きの花かも知れませんが、水木先生はあくまで鬼太郎を描き続けた結果と思います。それこそ、絶対爆発させるんだという心意気で。

そんなお二方も、売れなかった頃は酷いことを言われたかも知れません。出版社の人たちって容赦ないですから。それでもこんな大ヒットメーカーになられたのは才能だけじゃなく続ける力と思います。

やなせ先生はどうだったかわかりませんが、水木先生は家族がよく反対しなかったと思います。水木先生の実のお母さまはとにかく早く嫁をもらえとうるさかったようですが、創作活動に関してはうるさく言ったとは、水木先生の奥様の著書にもドラマにもなく、絵の才能は認めていたように見えました。子供の頃、学校の先生の勧めで、展覧会を開いたこともあったとかで、やはり子供の頃から絵の才能はあったんですね。

水木先生の奥様も、よく生活が不安でなかったと感心します。水木先生のちょっとしたアシスタント的なことをたまにやって、その時間がとても楽しかったと著書にはありました。貧乏生活は確かに辛いでしょうが、奥様の仰ることは少しわかるような気がします。家族が認めて味方で居てくれる、これ程心強いことはありませんからね。画家のゴッホにも、一番の理解者である弟のテオがいましたし。

やなせたかし先生が没されて11年、水木先生は9年、それぞれ創作活動に生きたお方々で、お二方ともスタイルは全然違いますが、仕事に対する情熱のようなものはどこか通じるところがあるように感じます。きっと道すがら、お辛いこともあったと思います、仕事ですから。
そう考えたら、お二方に比べたら、私などまだまだ青いですね。ちょっと展覧会で評価されたくらいで、いい気になっていてはいけません。もっともっと向上する余地はあるはず、これからも頑張って創作活動しますよ!

気持ちはもう既に、来年の純展ではどんな絵を描こうというところまでいっています(笑)

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