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問題です。『七つの子』は童謡でしょうか、唱歌でしょうか?

童謡と唱歌ってどう違うの?と思ったことがあるかもしれません。
どちらも「日本の心のうた」みたいにまとめられてしまうことが多いので。

今回は唱歌とは何かをひも解きながら、童謡と唱歌の違いを解説します!

タイトルの答えだけ知りたい方は、まとめにスキップください(笑)


1. 西洋音楽の移植が始まる

クラシック音楽に限らず、現在多くの人が耳にしている音楽は、西洋音楽がもと。つまり、西洋音楽の文法に基づいて作られている。その西洋音楽が日本に入ってきたのは、文明開化の時代。

時は1875年。文部省は、愛知県で師範学校長をしていた伊沢修二(いさわ しゅうじ)を師範学校の教育調査という目的でアメリカへ留学させた。当時伊沢は24歳。いわゆるエリートで、ジョン万次郎に英語を学び、官僚でもあった。

伊沢はアメリカでルーサー・ホワイティング・メーソン(Luther Whiting Mason 1818-1896)に音楽教育を学ぶ。

帰国後、伊沢は文部省に調査報告をし、これを受けて文部省は1878年に音楽取調掛を設置。これは現 東京藝術大学の前身である。


2. 音楽取調掛

「おんがく とりしらべ がかり」と読む。

伊沢が学んだメーソンは、お雇い外国人として音楽取調掛に召喚され、唱歌集の作成や音楽教育についての助言をする。

学校教育が刷新していったこの時代。音楽も見直され、新しい音楽教育が始まる。唱歌はその教材となった。

音楽取調掛は、当時東京の湯島にあった東京師範学校と東京女子師範学校の附属小・幼稚園で、全国に先駆けて唱歌の研究授業を行い、『小学唱歌集』『幼稚園唱歌集』を刊行する。

そうして、徐々に西洋の響きも広まっていき、定着していく。


3. 唱歌の特徴

① 初期は外国曲に歌詞だけつけるものが多い。

  例)『ちょうちょう

  ・もとはドイツの伝承曲の『幼いハンス Hänschen klein』

    ・日本語の歌詞は野村秋足(のむら あきたり)による。

※ちょうちょうの雑学

実は、このちょうちょう、4番まである。

ところが 2番の歌詞は「すずめ」、3番は「とんぼ」、4番は「つばめ」とテーマがバラバラ。というのも、作詞者が異なっているからだ。

ちなみに2番の「すずめ」の歌詞は、『蛍の光』の作詞者である稲垣千穎(いながき ちかい)による。

テーマを絞ることと、作詞者を一人にすることから、1947年以降は「ちょうちょう」のみに。


② 日本人が作曲し始めてからは、子どもが歌うにしては歌詞が難しい。

  例)『早春賦』 (吉丸一昌 作詞・中田章 作曲) 

(2番の歌詞 冒頭)
こおり とけさり あしは つのぐむ
さては ときぞと おもう あやにく

この子どもに分かりにくいという点は、後の時代に「童謡を子どもたちのために!」と鈴木三重吉や北原白秋といった人たちにより、改革されていく。
(この辺のことはまた今度書きます。)


4. 童謡と唱歌の線引き

実は諸説ある。
私個人的には、教育目的で作られたものが唱歌、子どものことを思って作られたものが童謡だと思っている。

『ちょうちょう』や『むすんでひらいて』は歌詞も易しい曲なので、童謡と呼ばれることも多いが、歴史的には唱歌である。楽曲の内容という視点では童謡でも間違いない。

何せ、「童謡」というのが「子どもの曲」という意味で広がりがあるため、線引きが難しくなっていると考える。


5. まとめ

唱歌であろうと童謡であろうと、どっちがどっちとこだわる必要はなく、今もなお歌い継がれる素敵な曲がたくさんあるので、少しずつ発信したい。
日本の心を少しでも共有できたらと願っています。

タイトルの答え 『七つの子』は 童謡 

作詞者の野口雨情は北原白秋・西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。

ちなみに、みなさんは、『七つの子』は「七歳の子」だと思いますか?「七羽の子」だと思いますか?私は後者だと思っています。理由はないけれど、子だくさんな絵が頭に浮かぶので。(笑)





※ 最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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