「パラサイト」は格差がテーマではない。この映画には未来に対しての皮肉や恐怖みたいなものが感じる。だから、最後にソダムは「計画」を立てるのだ。
遅ればせながら、先日話題となったアカデミー賞作品「パラサイト」を見る。今思い返すと、ストーリーがあるようでないような気がした。それは、計画があるようで計画がないように思える
「9月21日の夜のことを覚えている?雲一つなかった日で、下ネタと愛がだけがあった日」そういう曲があったことを今さっき思い出した。今日も雲一つない日で、星はもちろん、猫の爪のような月が出ていた。 そして、その曲のMVを見ると、Excelのバグを思い出してしまう。
汗だくで帰ってきて、夕食の用意しようとお勝手に立った時、むわっと汗臭さを感じた。夏だ。この現象は夏の夕暮れ特有のものだ。不思議なのは、この汗臭さが気にならなくなったこと。汗臭さを気にしていた中高生の時よりも、厚かましくなり、人のことなぞどうでもよくなったのだと思う。
暴露本出版で話題のボルトン元大統領補佐官は、スタン・ハンセンに似ている。
「バーニング 劇場版」をDVDで見る。この映画は村上春樹の短編を映像化するという企画から始まったらしく、この作品は「納屋を焼く」が原作としている。見始めて気が付いたけれど、「納屋を焼く」を「めくらやなぎと寝る女」と勘違いしていたことに気が付いた。なんでだろう?
猫を抱きたい。猫の毛が汗ばむ肌に張り付く感覚が懐かしく思えてくる季節が来た。この時期の猫はひっそりとやってきて、ぴたりとくっつく。呼吸がするたびに、腹が上下して、命の温かみと時には重さを感じた。夏はそれがうっとうしく感じる。命に勢いがあるから。今、私のそばに猫はいない。
カレーが好きじゃない。嫌いというわけじゃない。だってそこまで関心がないから。ただ、一生食べなくてもいい料理がカレーなだけ。
「今日私は」の書き出しで小学生の時に学校に提出する日記を書いた。 「今日私は」が常套句だった。 「今日私は」と書いて嘘を書いた。 「今日私は」と書いておけば、書きたくないことを書かなくてよいと思った。嘘を書くのは言いたくないことがあるから。日記って人に見せるものじゃないでしょ
2015年はバック・トゥ・ザ・フューチャー Part2の年。また、未来に近づいた。不思議。生活は変わってない気がするのに。
今年も終わるけれど、不思議なもので振り返るとあっという間に感じるけど、前しか見てないときは長く感じる。たぶん自分の向いているほうが前だと思う。後退していると思われても。
Wordpressのマニュアル作成。。。
やばい、web事業部にいるのに、私しかHTMLがわからない。どうしよう、泣きたい。何だろうすごい孤独感を感じる。
Webデザインに携わるようになって、今ではWouldpressも扱い、phpまで手を出す始末。今更ながら、何でこんな職業に就いてるんだろうって思う。生存するため。これしか出来なかったからとしか言えない。そして、しがないweb制作です。としか言えない。
アジア大会を見ていて、日韓中には髭を立てた選手って少ない気がする。いや、いないのかも。
デング熱に刺される。 ヤバい、蚊=デング熱になってる。マラリアとかあるのに