うつ病になった当初を思い出してみる

2018年12月、私の様子はおかしかった。

8年間、勤勉に働くシステムエンジニアを続けてきた。

「有給で長期連休を作る?いやだ、私は働きたい。長くて3連休で十分」

と、言うぐらいそんなに休暇を取りたいと思わない社員だった。

職業柄、無理な〆切を設けられることがしょっちゅうあった。

それでも、無理やり〆切に間に合わせてきた。

もちろん、優先順位を考えて対応はしている。

先輩に相談して、伸ばせる〆切は伸ばしてもらった。

一人で抱えきれない案件は、複数人で協力してこなすこともあった。

しかし、人手がそもそも足りない会社だったから、2人でやるものを1人でやらざるを得ない状況だってあった。

それでも、苦しかったけれど体に鞭を打って、〆切に間に合うように、そして、システム障害が発生しないようなシステム構築をやってきた。

8年間。

入社9年目をもうすぐ迎える、2018年11月の私は会社の帰り道に一緒に歩いている旦那さんにこう言った。

「長い連休が欲しい。」

旦那さんはびっくりしていた。

三連休で十分と言っていた私から、そんな言葉が出てくるなんて信じられないといった様子だった。

「休めるとしたらどれぐらい休みたい?」

そう問われて、私は考えた。

「一ヶ月…。でも無理だよね。」

あんなに連休は要らないと言っていた私が、こんな言葉を発するのは本当に異常事態だった。

でも、休むなんて「無理」だった。

私の会社は某会社の子会社で、〆切を守らなければ親会社だけでなく、親会社と契約している外部の会社に迷惑がかかる。

やるしかなかった。

旦那さんは、続けてこう言った。

「心療内科に行ってみたら?」

私は即座に嫌悪感を示してこう言った。

「やめてよ。そんなの甘えじゃん。私はそんな甘えた人間じゃない。」

旦那さんの言葉にかぶせるように、怒りすら含んだ話し方だったと思う。

今思うと本当に自分の無知が恥ずかしくなる。

うつ病は「甘えじゃない」と言われていたが、うつ病の具体的な実態を知らなかった私にとっては、「甘え」だと思っていた。

それに、毒親に二十数年耐えてきたことと、過労に8年は耐えてきたことから、自分は「強い」から鬱にはなり得ない。と思っていた。

そうはいえど、体の様子はおかしかった。

そう、その時、体の様子がおかしかったので、「鬱」ではないと思ってしまっていた。

その頃の私は「鬱」は心の病気だと思っていたから。

12月にはいると、体は鉛のように重く、手足が常に痺れ始め、舞台裏で自分の出番を待っている時のような心臓の激しい動悸、ひゅーひゅーいうような息苦しさが日に日に悪化していった。

12月は毎週のように有給休暇を消化していた。

体が苦しいからだ。

しかし、その頃になると一日休んだぐらいでは、体調が回復する様子は全くなかった。

怖くなって、脳外科にいってみた。

痺れは脳の症状かもしれないと思ったのだ。

とにかく原因が知りたかった。

原因をしってすっきりしたかった。

MRIに入る。

きっと何かが見つかる!と期待するも、

「綺麗な脳みそですね~」

で終わった。

脳外科医にこう漏らした。

「ずっと重だるさと痺れと動悸がつづいているんです」

脳外科医はこういった。

「それは疲れですね。僕たちにだってありますよ。」

…そうだよな。

「甘え」だよな。

その時の私はそこで納得してしまった。

その後も、重苦しい体を無理やりベッドから引きはがすように起きては、会社に行った。

起きれないってこういうことなのかって思いはじめた。

息を止めて、無理やりいきむようにベッドからドロップアウトするようにしないと起きれないくらい辛くなってきていた。

12月中旬になると、会社に行く足取りがとっても重かった。

それは心がどうのこうのという状態ではなかった。

足腰が非常にだるくて、まるでインフルエンザにかかっているときのようだった。

一歩一歩をかみしめるようにゆっくり歩くのが精いっぱいだった。

それまでは30分の通勤だったのに、12月中旬になるころには1時間かけないと会社にたどり着けなくなっていた。

会社での仕事も、効率がとても悪くなっていた。

インフルエンザ並のダル重さなので、頭が回らない。

普段なら3分で返すメールを、冗談抜きで、1日かけて返信していた。

休みたいけれど、有給休暇を既に多く使っていたから休んではいけないと思って這いつくばるように出勤を続けた。

そんなにボロボロの状態でも、私は鬱じゃないと思っていた。

だって、その頃の私は鬱を「甘え」だと思っていたし、私は「強い」から鬱にはならないと思っていたから。

クリスマスが近づいてくる。

また会社に行く。

いつものようにメールを読もうとする。

すると、いつも読めていた文字が、読めないのだ。

文字が記号にみえて、読めないのだ。

怖かった。

自分の中で何が起こっているのかわからなかった。

「疲れているんだ、しばらくしたら治るはず。それに、みんな疲れているんだ、私一人が弱音を吐いてはいけない。」

そう思って、やりすごした。

なぜなら、その頃のにとっての私には鬱は「甘え」で、私のように「強い」人間はなるわけがないと思っていたから。

クリスマスイブは、旦那さんと渋谷のステーキ屋さん、アウトバックに行った。

「気分転換をすれば、もしかしたら変わるかもね。それにクリスマスイブだし」

ということで、旦那さんが連れて行ってくれた。

アウトバックに向かう足取りさえも重かった。

傍から見れば、旦那さんがおばあちゃんを介護しているような図だった。

アウトバックで「おいしいね」と言ってくれる旦那さんの笑顔は優しかった。

でも、私は原因不明の体調不良が不安で不安で仕方なくて、恐怖に取りつかれていた。

「なんで治らないんだろう?」と。

それでも私は心療内科に行かなかった。

というか、心療内科の存在さえ忘れていた。

なぜなら、私にとって、「甘え」で「弱い人」がなる鬱は無縁だと思っていたから。

帰り道にみた、渋谷のイルミネーションは冷たく光っているように見えた。

12月3週目、ついに王手がかかった。

横になっていると、悲しくないのに目からぽろぽろ、いや、スルスルと涙が次から次へと流れ出したのだ。

号泣しているとき独特のしゃっくりが出るレベルの泣きっぷりだった。

私はわけがわからなかった。

悲しいと思っていないのに、涙がでるのだ。

「いや、仕事で辛かったから潜在的に悲しいんだよ」という人もいるかもしれない。

しかし、その日は気持ちの良いベッドでのんびりしていて、そんな感じの気持ちではなかった。

むしろ穏やかな気持ちでいたのだ。

なのに、スルスルと止まらない涙。

「落ち着け、落ち着け」

そう言い聞かせながら、湯船にお湯を張った。

体を温めれば、リラックスできて、泣き止むと思ったからだ。

ちなみに、お風呂にお湯を張るときも泣き続けていた。

お風呂にお湯がたまったとたんに、湯船につかった。

あったかかった。

気持ちが良かった。

それでも、涙は先ほどの通りスルスル流れ続けた。

恐ろしかった。

ずっと止まらなかった。

お風呂じゃダメなのか…じゃあどうすればいいんだ…

そう思いながらお風呂を上がり、ベッドで横になる。

ベッドで横になった後もずっと泣き続けていた。

ドラマか漫画で見たことがあるが、毒キノコを食べて、笑いたくないのにずっと笑ってしまう描写を思い出した。

まさにそれだった。

悲しくないのに、ずっと泣いていた。

泣き続けること6時間。

人は「泣く」と聞くと、悲しいとか辛いという感情を連想すると思う。

しかし、私のその時の「泣く」は、まるで「あくびをする」のような自然現象であって、心の中で悲しいと思っているわけではなかった。

作業だった。

6時間ぶっ続けで泣くのって本当に疲れる。

いつの間にか私は寝ていて、朝になっていた。

その時はじめて私は思った。

「心療内科に行こう」

しかし、年末年始が近づいていて、病院も開いていなかった。

1月4日に予約をとって、残りの数日は頑張って会社に行った。

12月27日か28日だったかな、その日も出社はした。

しかし、いよいよ限界が来ていた。

熱っぽくまでなっていて、疲労感・ダル重さがピークの中のピークに達していた。

急遽午後休暇を貰おうと思い、上司のところに相談しに席を立ちあがった。

上司に、「すみません」と声をかけたとたん、私はまたボロボロ泣き始めてしまった。

その時も悲しくないのに、である。

上司はすぐに人目のない会議室に連れて行ってくれた。

私は、12月から体調がおかしいことを時系列で具体的に話した。

上司は、「気づけずにごめんね」と言っていた。

上司は最後まで否定せずに聞いてくれたので、私も感じていることを全部吐き出し切った。

話し終えた後、上司に「体調が悪いのは気持ちに原因があるのかもね。なぜそんなに泣いているの?」と尋ねられた。

私は「悲しくないけれど泣いているんです、ウミガメの出産みたいですよねwww」と泣きながら笑った。

ちなみに、滑った。

「12月の残りの日はゆっくりやすんで、1月に病院に行くそうだから、年明けにまた教えて」と言われた。

上司と話している間も涙はボロボロ止まらなかった。

涙が落ち着いてから、自分の席に戻ってそそくさと帰る準備をした。

席で帰る準備をしていると、また涙の野郎がでしゃばってきた。

急いで退社して、電車にのって、家まで歩いた。

家に着くまで、涙は止まらなかった。

結構な水分量を目から排出したと思う。

その翌日から、私はほぼ寝たきりだった。

一日18時間は寝ていた。

そんな日々が続いた。

年末年始もそうだった。

元旦は旦那さんだけが親戚の家に行き、私は18時間自宅のベッドで寝ていた。

1月4日が来て、心療内科に行った。

その頃は23区外に住んでいて、病院は新宿だった。

この移動さえ苦行だった。

一日中ディズニーランドを歩き回るぐらいの疲労感だった。

病院で先生に話す時も、私は自分の涙でおぼれた。

2019年1月4日、うつ病と診断され、会社を休職しました。

以上が、りんこのうつ病になった当初のお話です。

その後の様子も後日、書き連ねていきますネ!

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