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雑記:もう少し悔しがったほうがいいのかな。

私は、負けず嫌いではない。

そもそも、勝負事にあまり興味がない。勝っても負けても、それなりに得るものはあるだろうし、勝つときはラッキーなのだろうし、負けるときは実力不足だ。そんな考えなもんだから、負けてめちゃくちゃに悔しい、という思いがあまりない。

スポーツをやってこなかった、というのもあるかもしれない。体を動かすことは好きだ。水泳を習っていたときも、泳ぐことはとても自由で気持ち良くて、最高だと思った。級がどんどんあがって、速く泳げることも楽しくて仕方なかった。でも、記録会は楽しくなかった。気持ち良く泳ぎたいだけで、タイムを削りたいわけではない。そもそもが、勝負事に向かない性格なのだと思う。

だから、スポーツをやってこなかった、というより、スポーツの「勝つ!」ということへの執念に向かなかったから、やらなかったのかもしれない。

でも、スポーツ観戦は好きだ。勝つために努力する姿は胸を打つものがあるし、負けて悔しがる選手たちに「よく頑張った!」とエールを送りたいと思う。

でも、スポーツ観戦をしていても、そういえば勝ち負けはあまり気にして見ていないかもしれない。格闘技観戦が好きで、よく生でも観戦に行っていたけれど、あの熱気や興奮は好きだけれど、応援している選手が負けても「よく頑張った!かっこよかったぞ!!」と思っていた気がする。

人を羨んだり、妬ましく思ってしまうことはある。あの人は持っているのに私は持っていない。そんな風に思ってしまうことはある。でも、それが悔しくて「負けてなるものか!」と燃えることはあまりない。それよりは「大丈夫。きっとあの人にないものが、私にはあるから」と自分をなぐさめてしまう。

そんな風に生きてきた私が、最近、小説の公募に挑戦している。これも勝負の世界だ。選ばれるものと、選ばれないもの。noteのコンテストに出したものもある。直近で言えば「創作大賞」。入選せずに落ちた。

悔しかったかな……と思うと、それが、悔しくないんだよね、あんまり。ほかの公募もそうだけれど、一次選考に残ったらめちゃくちゃ嬉しい。よっしゃー!ってガッツポーズしちゃうくらい嬉しい。目標は入選することだし、次も頑張るぞー!ってなる。けど、落ちたら、まぁ、そうだよね~ってなる。それほど落ち込まない。だって、そこまでの実力ないってわかってるもーん、ってなる。強がりじゃなく、本当にあんまり悔しくない。

でも、創作大賞の発表のあと、小説書きの人々が、みなさんめちゃくちゃに悔しがっていた。創作大賞だけじゃない。ショートショートnote杯のときもそうだった。入選しているのに「目指していたのは大賞だった!」ともはや怒りではないか?と思えるほどの激しい悔しさを吐き出している人もいた。
「それほど悔しいのは本気で取り組んだ証拠ですね」
たくさんの方がそうコメントしてなぐさめていた。私は、本気で取り組んでいないのか?

私も、もっと悔しがったほうがいいのだろうか。悔しさを原動力にして、エネルギーをためたほうか、いいのだろうか。

でも、無理に悔しがる、というのもおかしな話だ。そもそもたぶん、私は自己肯定感が低いし、自分の作品は大好きだけれど、何かに選ばれるなんて、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ先のことだと思っている。一生選ばれなくても仕方ないとすら思っている。本気じゃないわけじゃない。実力が伴わなければ選ばれないよね~と思っているだけだ。「せっかちじゃない」どころか「めちゃくちゃマイペース」という性格も影響しているのかもしれない。

子供の頃に、何でもテキパキとこなす優秀な姉と比べてとんでもなくおっとりしていた私に親が「りんは大器晩成だからね」となぐさめていたことを思い出す。大器は成せなくても、たぶん私は晩成だ。そのことに焦りもなければ、悔しさもない。

どんどん追い抜いてくれよ
急いでなんかいないから
俺はこの景色の色を
ゆっくり感じていたいんだ

吉井和哉「人それぞれのマイウェイ」

吉井和哉の歌詞だけれど、本当にこんな気持ち。私は私の速度で歩めばいいなぁ~と思っている。

あんまり悔しくないから、あんまり凹みもしない。すぐに「よーし!次も頑張るぞ!」ってなる。それでいいのかもしれない。それが私らしいのかもしれない。

創作大賞後のみなさまの反応を見て、私ももう少し悔しがったほうがいいのかな……と思ったけれど、やっぱり私は私なりに、今の私から見える景色をゆっくり楽しみながら、一歩一歩進めばいっか。と思った日でした。





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