「私の隣人プロファイル」とは

二十代後半に差し掛かった頃。
職場の人間関係やバイト先の閉店など様々な理由で、気が付けば職を転々としていた。
周りを見れば結婚したり、子供を産んだり、バリバリと社会で働く人たち。

自分には地位も名誉もお金も恋人も何もなかった。本当に。何もない。でも涙は出なかった。なぜなら全てが自分に責任があるから。私は日本人の模範的なルートを一切無視して、売れないシンガーソングライターのようなことをしている。今感じる虚無感は全て今までの身勝手の結果だ。

でも本当に自分には何もないのだろうか。
本当に何もないなんて悲しすぎる。それを考えた時頭に浮かんだのは、今まで作ってきた自身の曲と、職場で出会った人たちの顔だった。
新しい発見だった。自身の曲を大切だと思っているのは自覚していたけれど、まさか職場で出会った人たちについてもかけがえのないものだと感じる自分がいたなんて。
思えば私は職を転々としたことで沢山の人たちと出会い、そこでなんの取り留めもないただの雑談、日常会話を繰り返した。休憩中、お昼ご飯の時、一緒に駅まで帰る道中、仕事中にも会話をしたり。確かに私はこれらの時間が好きだった。面白い話も切ない話も、ただ買いたい服があるというだけの話も、皆それぞれのオリジナルの人生を作っていたし、それを話してくれた。彼らはSNSで"映える"ようなゴージャスな日々を送っている訳ではないけれど、私には一人ひとりがそれぞれの人生の主役で、その様は"映えてる"と感じた。
そのことに気づいた時から私は少しずつ、聞いた話をノートに書き溜めていくようになった。そして私はそのノートを「私の隣人プロファイル」と名付けた。

とまぁそれっぽい感じで色々書きましたが、要は人から聞いた話を他人に横流しにするという、見方によっては最低な行為ですし、自分がその日職場で何気なく話したことをノートに書いてるやつがいるなんて考えたらキモいにも程がありますね。今改めて自分の行為を振り返り、冷静にキモいなと思いました。しかし、それでも私には皆の人生が愛おしく思えます。なので書きたいです…!ダメですか…?!既に1人公開してますけど…!!
もちろん公開するに当たって、個人が特定されないよう人物名などの固有名詞は変更してお届けしております。

いつかテレ東辺りでバカリズムさん脚本で深夜時間帯にドラマ化してくれたりしたら面白そうだなとか何とも無謀な期待をそっと込めたところで、わたくしの挨拶を終えようと思います。

p.s.
今これを読んで下さっている皆さんの人生も同様に"映えてる"人生であり、明日からの皆さんの人生がどう転ぼうとも、それは一人ひとりのオリジナルな愛おしい人生であること、私は確信しております。いつかどこかで出会い、どうでもいい会話をすることがあったら、私はまた皆さんから聞いた話を帰宅後こっそりメモするでしょう。
それでは。ぷぷ。

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