夢もキボーもありゃしない

 またぞろ傘を会社に忘れたので、今朝の大雨の中をフード付きジャンパーを羽織って最寄り駅まで走る羽目になった。撥水性をユニクロの工場に置いてきたジャンパーはインナーにまでよく水を通し、心身ともにびしょ濡れである。「ま、まあアメリカ人は傘をささないし…」と自分を洗脳できるレベルはとうに超えていた。

 どうして私は傘だけをいつまでも忘れ続けるのだろう。傘だけじゃないな。夢や希望も日高屋のテーブルの下に忘れてきた気がする。

 幼い頃は電車の運転手になりたかった。南海ラピートやスーパービュー踊り子の運転席から指差し確認して「出発進行」と言いたかった。人身事故で遅延してクレーマーのジジイに理不尽に怒鳴られてる運転手を幾度となく見ているから、ならなくて良かったと今なら思う。

 その次はゲーム会社の敏腕社員。部屋中に散らかったゴミを掃除機で集めてハイスコアを目指す『ぼくは掃除大臣』なるゲームを開発して大儲けを企んでいた。いま思えば塊魂のプロトタイプみたいな内容だ。初代塊魂のリリースが2004年だから、生まれる時代が早ければ俺が塊魂の開発者になっていた可能性も微レ存…?(古い)

 中高生時代は小説家を目指していた。『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の入間人間の文章を真似て、陰鬱でひねくれた"いかにも"な物語を書いていた。目指したといっても、「なれたらいいなあ」ぐらいの気持ちで、アイデアの断片と1ページ2ページほどの書き差しを量産しているだけだったが。乙一がデビューした17歳を超え、西尾維新がデビューした20歳を目前に控えた段階で、小説を一本書き上げる熱量も文章力も想像力もないことを悟り、夢から趣味の引き出しに移し替えた。こうして取り留めのない日記なんぞを書いているのも、その残滓である。

 で、今は特に何もない。その日を生きられればそれで良し、という目的意識が地を這う生活を送っている。会社の面談で「君は将来的にどうなりたいの」とよく聞かれるが、いつも悩んでしまう。「給料が上がれば何でもいいっす」という本音を抑えて社会人の教科書にあるような定型文を継ぎ接ぎして答えるのが関の山だ。

 小学生時代(?)の大谷翔平や本田圭佑やイチローの作文がフィーチャーされ、「夢を必死に追い求めることの尊さ」が特集されるたびに息苦しさを覚える。「みんなもこうなろうね!」というメッセージを飛び越えて「これができない人間は情けないぞ」と暗に突きつけられている気さえする。

 確かに、どんなに生活が苦しくても我が道を突き進む人たちはカッコいい。レールを自ら敷設して、両輪をはめ込み、絶対にそこから逃げないという覚悟を決める美しさは何物にも代え難い。何かになりたければ脇目も振らず突き進め!(意訳)と夏目漱石だか誰かも言っていた気がする。夏目が言うなら間違いない。

 でも、目的意識が有意義な人生の必要十分条件とは思わない。『ハチミツとクローバー』の竹本くんよろしく、ふらふらとあてもなく方方を彷徨って、行く先々で楽しんだり必死に頑張ったりする放浪旅のような人生も、またオツなものじゃないかなとも思う。人生は旅のようなものだ、と松尾芭蕉だか誰かも言っていた気がする。松尾が言うなら間違いない。

 会社に忘れた傘は誰かに盗まれていた。夢や希望も誰かに盗まれたと思いこんでおこう。

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