「『空の青さを知る人よ』でうまく感動できなかった理由について」2021年5月14日

『空の青さを知る人よ』を観た。

主人公・あおいがお寺の御堂でベースの練習をしていると、突然学生服の赤髪の男が現れる。それはあおいが幼少期に一緒に遊んでいた、姉・あかねの同級生・慎之介(愛称・しんの)の14年前の姿だった。そんな折、地元出身演歌歌手のお出迎えに立ち会ったあおいの前に、今度は”現在の”慎之介が現れて……というお話(説明が難しすぎる)

設定もだけど、登場人物たちの行動原理が色々と複雑で、この人はどうして怒ってるんだ?/泣いてるんだ?/走り回ってるんだ?/飛んでるんだ?と理解できないことが何度かあった。誰が誰を好きとか、単純な恋愛模様は分かるものの、ゴールがどこか分からないままマラソン中継を見ているような不安感がずっと拭えなかった。

日常の中に非日常的な出来事が起こるというストーリーの場合、その非日常的な出来事は日常に暮らす人々の悩みだとか苦しみの暗喩であることが多い。御堂から出られない過去の慎之介も、現在の慎之介の"ここに残りたい"という無意識の想いの表れだけど、どうもそれもラストのカタルシスに繋がらなかった。あいみょんの『空の青さを知る人よ』が流れたシーンはパブロフの犬的な反射で泣いてしまったけど、泣きながら「これはどういう意味なんだ?」と疑問符がずっと明滅していた。

ストーリーがうまく理解できなかった原因として考えられる理由は2つある。1つ目は単純に俺の理解力がなかったから。眠たかったし、何より地頭が悪いというのが背景にある。

2つ目は自分が東京生まれ東京育ちだからだろう。アニメや漫画などで、地方に住む人が「上京してこんな田舎町から抜け出してやる……!」と覚悟を決めるシーンがよく出てくる。現実世界でも多かれ少なかれそういう想いを抱えている人はいるだろう。本作でも、夢を追いかけて東京に出た慎之介と、慎之介からの上京の誘いを拒否して地元に残ったあかねという対比があった。現状から抜け出して夢を追い求めることも、現状を受け入れてそこで幸せを見つけることもどっちも肯定したい、というメッセージは何となく読み取れた。

だがその”抜け出した先”として設定されがちな東京にずっと住んでいる自分は、そもそも抜け出す抜け出さないなんて考えたことがない。追い求める夢なんてなかったし、あったとしてもそれを叶える手段はすでに揃っている。だからストーリー展開にピンと来なかったんだろうなと思う。

それを踏まえた上でもう一度観たら、また感想も変わってくるのだろうか。


東京から抜け出したいと考えたことはないと言ったが、実家から抜け出したいという想いはある。両親のことは嫌いではないしむしろ好きな方だけど、いい加減に独り立ちしないとダメ人間まっしぐらだと思っている。いつまでも子供部屋おじさんではいけない。

なので今月22日から一人暮らしを始めることにしました。引っ越し先は松戸。東京から千葉という逆上京。

千葉の空は、青かったらいいな。

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