伝達齟齬心配性 ~私の文章、ちゃんと伝わってる?~
今日は私が数年前から抱えている精神疾患、あるいは脳の病気についてお話します。
私が抱えている病気、それは伝達齟齬心配性です。
ご存知ですか?伝達齟齬心配性。知らない方はネットで調べてみてください。絶対出てきませんから。
やめてください、でかめの石を投げないでください。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいので私の話を聞いてください。本当に切実なので。
さて、伝達齟齬心配性は私が勝手に命名した病気です。
私は数年前から「自分の書いた文章はちゃんと相手に伝わっているのか」という不安を抱えています。
日記を書く時も、ツイッターに投稿するときも、こうした記事を書いている時も、私は常にこの不安に苛まれ、苦しめられています。
その不安のせいか、私は何かを説明しようとするとき、1から10まで書かなければ気が済みません。
いや10じゃ物足りず100、1000まで説明しようとします。
そのため文章量は多くなるし、自分でも何を言いたいのかだんだん分からなくなってきます。
この記事だって、たぶん上手い人が書いたら原稿用紙一枚分ぐらいで伝わると思います。そういう人って、書かなきゃ伝わらない部分と、書かなくても読者の想像力で補える部分が分かっていると思うので。でも自分の場合はその区別が分かっていないので、必要以上に言葉を尽くして書いてしまいます。そうしないと上手く伝わらないかもしれないと不安になるので。
そしてそれは普段の日常会話でも同じです。
「自分の発した言葉の意味を相手は正しく汲み取ってくれているのか」
「俺の発した『こんにちは』が実は相手には『ッ縲∵悽譚・陦』と聞こえてるんじゃないか」
「分かった風にうんうん頷いているけど、本当は何も分かっていなくて、でも聞き返すのも面倒くさいから聞き流しているだけなのではないか」
マジで本気で心からそう思っています。半ば強迫観念のレベルにまで達しています。
どうしてこうなってしまったのか。原因は分かりません。気づいたらそんな心配性に苛まれていました。
無駄に相手を意識しすぎちゃっているところもあると思います。ただ人類の大半は文章を書く時や会話するとき、必ず相手のことを意識すると思うので、「何で自分だけ…?」とも思います。
ネットで調べても、似たような症状は出てきません。自分のような凡庸な者がかかるのですから、文章を生業にしている小説家や、喋りに命を賭ける芸人さん・噺家さん等の中にも同じ病気を抱えている人がいてもおかしくないと思うのですが……。
なので自分で病名を付けました。それが伝達齟齬心配性です。ネーミングセンスの有無はともかくとして、人に説明するときはこの病名とセットにして周知を図りたいと思っています。
割と本気で治したいので、もし似たような症状、あるいは治療法をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください
正直、この文章も読んでいる人に伝わっているのか不安ではあるのですが……。
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