室蘭の空が赤く燃える──2024年2月28日
本業でも演劇関係の方でも、ようやく仕事が落ち着いてきた。本業はどうでもいいから適当にやるとして、とにかく3月の本番に向けて集中しなければ。セリフ覚えるセリフ覚えるセリフ覚える。
『親なるもの断崖』を読み終えた。
室蘭の遊郭に売られた女性たちが、戦前〜戦後にかけての時代の奔流に飲み込まれながらも、未来のため、幸福のために矜持を失わない姿に胸が締め付けられる。
語弊を覚悟でいえば、この物語には善人しかいないように思える。
彼女たちを遊郭に連れて行く周旋屋も、武子(九条)に厳しい稽古をつけた女将も、遊郭に訪れる男たちも、お梅(夕湖)に惚れるアカの中島も、製鉄所に勤める父も、その母親も、みな根っこは他人思いのいい人たちだ。
ただ時代があまりに過酷なために、そうでもしないと生きていけないがために、それが当たり前であるがために、悲惨で残忍な行為に手を染める。染めざるを得ない。
そして被害を受けた側もその怒りの矛先を誰に向ければ良いか分からず、あるいは分かっていても「敵」があまりに強大かつ不明瞭なため、目の前の人間に敵意をぶつける以外になく、憎しみの連鎖がミクロ的なコミュニティで起こってしまう。それがまた胸を痛ませる。
そういう意味でも、政府の動向が可視化され、庶民からも気軽に意見を飛ばせるようになった今の日本は平和なのだなと改めて実感する。
ただ海外ではいまだに紛争やテロが横行しているし、国内でもお上の汚さは変わらないから、素直に喜べないのもまた事実。
国民の言葉もあまり政治に反映されているとは思えない。この無力感は、大小あれど、今も昔も変わらないのだろう。
せめて"敵意"を向けるべき相手をみなが間違えないように。
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