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ぷろふぇっしょなる―2021年3月29日

油そばてつの油そば。前に来たときはトッピングが鶏肉だったので今回もその鶏肉を楽しみに来たのだが、どうやらすべての油そばが鶏肉ではなかったらしい。少し残念。だが麺のコシの強さは相変わらずだし、チャーシューはチャーシューで美味しかった。

ラーメン屋のお酢入れとラー油入れの容器はだいたいベタベタしている。それが油によるベタベタなのか、単に容器のゴムの手触りがそういうものなのか。触って離したあと指がベタベタしていないので、後者なのかもしれない。そんなことを食べながら考えていた。もっと有意義なことは考えられないのか。


ラーメン屋(油そば屋)では珍しくタバスコが置いてあったので試しにかけてみる。タバスコの辛さと酸味が絶妙で、麺に絡まったタレによく合う。お酢とラー油を別々でかけるより美味しいかもしれない。

このように、日記を書き始めたおかげで、新しいことに意欲的に挑戦するようになった。新しいことに挑戦し、その時の感情を日記に書けば、それだけでネタになる。

こうやってつねにネタを探していないと、日記なんて書けないのだ。一日の出来事を日記に書くのではなく、日記を書くために出来事を起こすという逆転現象。いかに自らの人生に新鮮味がないかを改めて感じる。


プロフェッショナル仕事の流儀の庵野秀明スペシャルを見た。新世紀エヴァンゲリオンの新作映画の制作現場に約4年間密着した超大作ドキュメンタリー。

最も印象に残ったのが、作品のためなら死んでもいいと語る庵野秀明の姿だ。

理想の画を求めて編集室に立てこもり、寝る間も惜しんで頭を悩ませる。上映予定日が迫る中でも作品のクオリティのためなら脚本の書き直しもいとわない。うつ病と診断され、強い希死念慮に駆られても、それでも作品に立ち向かい続ける。その姿勢に心をうたれた。

自分語りで恐縮だが、私はこれまで何かのために命を削ったことは一度もなかった。いや今だってない。

何をするにも中途半端で、自分がツラいと思たらすぐに逃げてしまう堕落しきった男だ。

現在も、たかがテレワークから出社に切り替わっただけで「早起きがツラい」「満員電車がツラい」「上司と隣の席なのがツラい」と弱音ばかり吐いている。

心身を犠牲にしてでも最高の作品を世に送り出そうとする庵野秀明の覚悟を目の当たりにし、私はそんな弱い自分を恥じた。

今の仕事も何もかもが、自らの選んだ道である。後悔の残らないよう、全力で生きていこうと心に誓った。


他にも印象的な場面はあったのだが、それに対して自分がどういうことを思ったのかが思い出せない。

強いてあげるなら宮村優子さんが可愛らしかったことと、三石琴乃さんがラストシーンのアフレコ前に涙を流されていたのを見てもらい泣きしてしまったことぐらいだろうか。

何だこれは、声優オタクか?


ちなみに上記のプロフェッショナルの感想は、最初にノートに手書きで書き、それをそのままPCに打ち込むスタイルを採用している。

手書きで文章を書くと頭が活性化するし、なるべく文字数を減らそうとする意識が働くので、自然とムダを削ぎ落した読みやすい文章になる、気がする。キーボードだと打鍵のスピードに脳みそが追い付かず、だんだんと何を書いているのか分からなくなることがあるのだ。

今度から文章を書くときは、このスタイルにしようかしら。腱鞘炎が心配だけど。

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