ニアデスハピネス──2023年5月27日

■今日の食事

ひとりしゃぶ葉

・実験的に今日は三人称視点で書いてみよう。


・筆者は今日、彼史上まれに見る腹痛に襲われていた。何度便所に行って排泄行為に及んでも、その排泄行為に伴う腸の活性化によってさらに腹痛が発生するという悪循環に苦しんでいた。

・腹痛の原因といえば真っ先に食生活が挙げられるが、昨日の食事を思い返しても、昼に担々麺、夜に博多ラーメンと麺尽くしの食事をしたぐらいで、それ以外に原因といえるものは何も浮かばなかった。昼夜に連続して麺類を食べただけで腹痛になるなら、SUSURUはすでに病院送りである。

・つまり彼は原因不明の腹痛に襲われていた。原因不明ということは原因の候補が無数にあるということであり、悲観的な彼はその数ある原因の候補の中でも最悪のケースを想定して震え上がるのであった。


・そして腹痛に不安を抱えながら、筆者は人生で初めて雀荘でフリー麻雀を打った。明日参加する麻雀大会に備えてである。友人とセット(メンツが知り合いだけ)は何度も打っているが、見知らぬ他人しかいない卓で打つのはこれが初めてだった。

・年齢層は大学4年生ぐらいの青年もいれば、麻雀歴の年数分のシワが刻まれていると思しき初老の方まで、その彩りは様々だった。そんな老若男女が入り混じってひとつの卓を囲むという光景が新鮮で、緊張しながらも不思議な感覚を覚えた。

・ただ不思議な感覚を味わえたのは身体の0.1%ほどで、残りの99.9%はやはり緊張でいっぱいいっぱいだった。点数申告を2度ほど間違えたり、カンチャン待ちでリーチしたあとによく見たら待ち牌がすでに場に4枚見えていたり(いわゆる純カラリーチ)、頭が痛くなるほどの緊張に揺さぶられて、それはそれは散々な戦いであった。

・ただ、彼はそれをあまり悲観的に捉えていない。フリーでバリバリ打ってる会社の先輩たちも、最初はガチガチに緊張してポンやチーの発声すらできなかったと話していた。それを思い出し、「誰でも最初はそんなもんだろ」という楽観思考で、自らを慰めるのであった。

・むしろフリーに初挑戦したことを我ながら褒めてあげたい気分だった。かのスレッタ・マーキュリーも「逃げればひとつ、進めばふたつ」と吐かしていたように、進んだことで経験と明日の大会での精神的安定のふたつが得られた。これを活かさなければ。




・最近生活が乱れているのと、明日が麻雀の大会ということもあり、景気づけに近所のサウナに行った。

・熱気に包まれた部屋で汗をだくだく垂れ流したあとに水風呂に浸かると、最初は冷たいけれど段々と水と身体が同調し、無敵のベールに包まれたみたいになる。そして露天の椅子で外気浴に移行するや、心臓がバクバクして血流が一気に加速してトリップしたような感覚に包まれる。

・彼は「何となく死ぬ直前ってこんな感覚なのかな」と思った。大槻ケンヂの『ステーシーズ』という小説で、年頃の少女が死ぬ直前に"臨死遊戯状様(ニアデスハピネス)"という多幸状態になる描写があったが、それはきっとサウナで整うのと似たような感覚なのかもしれない。死の直前もサウナも同様に脳内麻薬が分泌されるというし、いわばサウナは一種の臨死体験なのだろう。あのような感覚で死ねるなら、死ぬことへの怖さも少し和らぐ。


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