ライタースランプ アワレちゃん―2021年3月23日

「書は人なり」という言葉がある。同じように文章もまた人を表す。

文章とはいわば人生の集大成だ。読んできた書物は文体に、学歴と偏差値は語彙に、性格は語尾に、積み重ねた経験は比喩表現に宿る。オノマトペ、接頭語、読点の位置、格助詞の使い分け等々、文章の要素ひとつひとつが書いた者の分身と言っても過言ではない。

つまり文章の添削とは執筆者の人格そのものを修正する行為であり、過剰な赤入れはその人の人生を全否定することにもなりかねない。

本日、私は取引先の人間に原稿を徹底的に直され、吐き気を催すほどの心的外傷を受けた。自分の言葉が次々に灰色の文字の羅列に変わり、まるでテセウスの船のように、最終的にもはやそれは私が書いた原稿ではなくなっていた。そのときの私が受けたダメージたるや、トラウマを誘発するに相応しいレベルであった。就活で2時間にわたって圧迫面接を受けるに等しい、それは私という人間の真っ向からの否定だった。

色を出すな。執筆を楽しむな。自分を押し殺せ。読者に奉仕しろ。お前なんかどうでもいい……。

はっきりとは言われていないが、その執拗なまでの添削は、そう言われているのと同義であった。

その瞬間から、私は自分の文章に正しさを見いだせなくなった。文章に正解も不正解もない。それなのにまるで自分の書いたものがすべて間違いであるような錯覚に襲われている。今もタイピングゲームで間違ったキーをずっと押し続けているような不安感に押しつぶされそうになりながら、この日記を書いている。

どうやら私は入社3年目を目前にして、ライター業界におけるスランプを味わっているようだ。どうしたら抜け出せるだろうか。抜け出せる日は来るだろうか。


今回、解除後の東京の感染状況を予測したのが、日本医科大学特任教授の北村義浩氏。この日が番組最後の出演となった同氏は、日別による感染者数の推移のグラフに、自らマジックペンで上昇カーブを図示。
 
さらに「もう書いちゃおう!」と言うと、到達値が3000人しかなかったグラフの枠を突き抜け、パネルの一番上まで上昇の曲線を描いたのだ。同氏によれば「(1日)8000人まで行く」と見解を述べていたが、まさかの“暴挙”にスタジオも騒然。共演者も「最後だからって……」と苦笑いしていた。

電車の中で読んで笑ってしまった。最後の出演だからって思いきりが良すぎる。映像で見たいけど残ってるだろうか。

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