伝達齟齬心配性 ― 2020年5月30日(土)
おはこんばんちは、りんはやです。
今日も今日とて日記だよ
■日記タイトルについて
・今回から日記タイトルを日数表示のみというシンプルなものにした。
・私の日記には「生後25年日記」というタイトルがあって、これは日記を始めるにあたって適当に考えたもの。「せっかく四半世紀を迎えたから…」という動機のもとに始めたから、それに関する文言をタイトルに加えようと思ったのだ。何度か外そうとも思ったんだけど、一度冠してしまった手前、なかなか外せないまま、ずるずると今日に至る。
・だけどあのタイトル、正直、視認性がめちゃくちゃ悪い。「生後25年日記」の"25"と日数表示(〇〇日目)が数字被りしていて、なんかごちゃっとしてしまう。そこにサブタイトルが加わるもんだから、読みにくいったらありゃしない。
・そこで機能性を重視して、この度外すことに決めた。
・新型なんちゃらの影響で不必要なものが見直されている昨今、ウイルスとは関係ないとはいえ、私もその流れに乗じることにした。
・しかしそうなると今度は「りんはやの日記である」と一目で判る特徴がなくなってしまう。私の日記を定期購読してくれている人なんていないと思うが、それでも他の記事に埋没してしまうのは、自分が生み出しているものである以上、ちょっと寂しい。子供に名前を付けない親なんていない。それと同じ。
・だけど今更新しい日記タイトルを付けるのは、それはそれで違う気がする。子供の名前を簡単に改名する親なんて誰が信用するか。それと同じ。
・なのでnoteの機能のひとつである「マガジン」とやらを使いたいと思う。これに日記というカテゴリ名を付けてまとめれば、自分も読み返しやすいし、万が一私の日記を読んでくれている人が今後現れた際にも便利だと思うので。
・と誰かに向けてというより自分に言い聞かせるための文章になってしまったが、そんな感じで今後は行きたいと思う。
・わかったか俺!わかったら返事しろ!
・はい!!!!!
・よし!!!!!!!
■伝達齟齬心配性
・想田和弘監督『精神』の感想を書いた。
・本当はこの日記に書こうと思ったけど、長くなってしまったし、上の『日記タイトルについて』と一緒に書くには毛色が違いすぎたので、別の記事に書くことにした。
・作品の感想を書くのってマジで本当にすごく苦手だけど、「上手くなりたい!」という思いは人一倍あるので、無理やり自分に課してるって感じ。そのせいで新しい作品を見るたびに「これ感想文書かなきゃな…」と嫌な気分になって物語に集中できないという難点はあるけど。
・ただ感想文というか文章全般を書いていると、「自分の書いた文章はちゃんと相手に伝わっているのか」という不安にいつも苛まれる。
・それは日常生活の会話でも同じで、
「自分の発した言葉の意味を相手は正しく汲み取ってくれているのか」
「分かった風にうんうん頷いているけど、本当は何も分かっていなくて、でも聞き返すのも面倒くさいから聞き流しているだけなのではないか」
「俺の発した『こんにちは』が実は相手には『ッ縲∵悽譚・陦』と聞こえてるんじゃないか」
みたいな不安が常にあって、半ば強迫観念的なレベルにまで達している。
・だから何かを説明しようとすると1から10まで言わなきゃ気が済まない。いや10じゃ物足りず100、1000まで説明しようとするから文章量は多くなるし、自分でも何を言いたいのかだんだん分からなくなってくる。このセンテンスだってそうでしょ? たぶん上手い人が書いたら短歌ぐらいの文字数で伝わると思う。でも自分には要約力も語彙力も欠落してるから、どうしても長くなってしまう。
・こういう症状――つまり自分の言葉が相手に伝わってないのではと不安に駆られる症状――って病名とかあるのだろうか。ネットで調べても全く出てこない。
・だから勝手に自分で名前を付けました。
・伝達齟齬心配性
・どうでしょう? いやどうと言われても「うん…」としか言えないか。
・とにかく私は伝達齟齬心配性という精神疾患に悩んでいるので、薬があるなら処方してください。待ってます。
・てかここまでの文章も1mmも伝わってなかったら最悪だな
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