だっふんだ―2021年3月18日
久しぶりの出社でまあなかなか疲れた。
なにが一番ツラいって夕方5時ぐらいの一番眠たい時間に仮眠がとれないこと。オフィスってだから嫌なんだ。あのさぼりを一切許さない感じ。同調圧力っていうの?みんな頑張ってんだからみんな頑張れ的な。ああいやだいやだ。眠る=怠惰だと思い込んでる連中が多すぎる。少しの睡眠がパフォーマンスを高めることは数多くの論文で証明されているんだ。つまり残りの仕事に対する能力を最大限に高めるための方法なんだ。むしろ眠気を抑え込んでだらだら仕事をしてる奴より、俺は意識が高いと思わないか。仕事熱心だと思わないか。まあ眠ったところで起きたら体がだるくて仕事どころじゃなくなるんだけどさ。ダメだこりゃ(民家のセットが壊れて舞台転換)
人間はたった一秒の間に万の逡巡を繰り広げることがある。例えば十字路を渡ろうとしたら急に車が飛び出してきたとき、私たちはすぐに足を止めて後戻りするか、ぶつかる前に素早く通り過ぎるか、もはや諦めて真ん中に立ち止まるか、という選択を瞬時に迫られる。かように人間は様々な状況下において瞬間的な判断をしなければならないことがある。
仕事からの帰り、私は電車に乗り込んで席に座ろうとした。すると以下のような状況だった。
│ 〇 女 〇 〇 男 〜 │
女性の左隣に一席、右に二席空いている状況だ。そして更に右側には太った中年のオッサン、という構図である。
場は乗客の多い笹塚駅だったので、早く座らなければ席が取られてしまう。仕事で疲れているので腰は下ろしたい。だから早くどの席に座るかを選択しなければならなかったのだが、ここで「さてどうしたものか」と私は瞬間のうちに逡巡してしまった。
本当は座席の壁に寄りかかれる女性の左側に座りたかったのだが、そこに座るとまるで女性と隣同士になりたいがためにそこを選んだかのように邪推されてしまう恐れがある。他人とはいえ一期一会を重要視する私だ。そんなお門違いなことを思われて気持ち悪がられたくない。
では女性と男性の間の二席どちらかということになるが、この場合は女性の隣に座っても女性の左側にはスペースがあるのでそれほど女性の精神的負担にはならないだろう。僕も語弊覚悟でいえば、太った中年のおっさんの隣には座りたくない。気持ち的なものもあるし、肉とカバンが少し自席からはみ出していて単純に座りにくい。
だから安心して女性の右側に座ろうとした。だがその瞬間、また脳裏に不安がよぎる。女性の精神的負担という点では大丈夫だろう。しかし問題なのは二席ある内の女性の隣を僕が「選択した」という事実だ。つまり女性からしたら「うわ、このキモオタ、二席空いてるのにわざわざ私の隣に座ってきたわ。そんなに飢えてるのかよきっしょくわる目ン玉爆ぜ散らかせクソカス」と思ってしまうということだ。結局、僕が女性の左側に座ろうが右側に座ろうが、どちらも等しく罪咎なのだ。
私は下ろそうとした腰を無理やり持ち上げ、最後の選択を0.2秒ほど(体感時間10分)決めあぐねたのち、二席の真ん中に着地。そして尻を右にずらして、最終的には太った中年オッサンの隣に落ち着く結果となった。
この間、わずか1秒47。世が世ならギネス新記録にふさわしいタイムスコアであったろう。二席の真ん中に座るという愚かで意味不明な妥協さえなければ、もっと好記録を叩き出せたであろうことは想像に難くない。
かように人間は事あるごとに無数の選択肢を突き付けられ、瞬時に正解へとたどり着かなければならないのである。しかも正解したところで、特に何があるわけでもない。失敗はあれど成功はなし。それが人間たる我々の人生なのだ。
ああ難儀なるかな、霊長類――
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