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【映画】『存在のない子供たち』について

今秋話題の映画と言えば、トッド・フィリップス監督でホアキン・フェニックスの演技が話題になった『ジョーカー』、前作『万引き家族』でカンヌのパルムドールを受賞した是枝和弘が名だたる俳優陣と共に作った『真実』が挙げられるだろうか。
しかし僕はこの二作よりも「レバノンの美しき才能」ナディーン・ラバキー監督による本作『存在のない子供たち』をお勧めする。

のっけからで恐縮だが、『存在のない子供たち』について書く前に「ジーニー」と呼ばれたアメリカのある少女の例について書いておきたい。
教育学などで「野生児」と呼ばれる分類がある。これは(呼称から連想されるような)ジャングルで野生動物に育てられた子供だけを指すのではなく、通常あるべき養育を受けずに育った隔離児などと呼ばれる例も含んでの呼び名だ。
ジーニーは野生児の下位分類である隔離児の代表的な例と言えるだろう。
彼女は2、3歳の頃から窓を閉め切った暗い部屋の中で寝袋に閉じ込められたり、あるいはおまるに縛り付けられたりするなどして育てられた。
さらにジーニーの世話をした父親や兄は言葉を喋らずに唸り声をあげて彼女と接したそうで、13歳を過ぎた頃に母親から連れ出されて保護された当時のジーニーは歩く事も言葉を喋る事も出来ず、始終涎を垂らし、所構わず自慰行為をするなどした。
ちなみに、「ジーニー」という呼び名についてだが、これは妖精を意味する言葉らしい。
ジーニーの(複数の)里親や言語教育を行った言語学者など周囲の者は、言葉の覚えもよくなく一般的なルールを理解出来ないジーニーに頭にきて疲れ果てることも少なくなかったようだが、彼女はふとした瞬間に、とても無邪気で可愛らしい笑顔を見せたことから、このニックネームで呼ばれるようになったのだそうだ。

大学で少しばかり教育学を学んで、ジーニーの存在を知り、僕は人間が社会的な意味で「人間」であるということはそれ程当たり前の事ではないのだな、とそう思うようになった。

もう一つ、教育学を学んで得た知識によると、ルソーは「子供を社会から切り離して興味の赴くままに自然から学ぶべき」と説き、ピアジェは「子供の認知機能の発達には段階がある」と説いたそうだ。
共に、「子供は子供時代に特有の目的を持っている」と捉えたと言って良いのだろう。

ジーニーは勿論余りにも極端な例である。しかし『存在のない子供たち』の主人公、ゼインとジーニーは、共に適切な子供時代を経験することが出来ていない、言ってみれば「子供時代を奪われた」という点で共通している。

『存在のない子供たち』に描かれているのは、大人の社会、しかも非常に過酷な社会で生きて行かざるを得ない少年ゼインの姿だ。

Story
舞台は中東の貧民街。
そこで両親や兄弟たちと暮らす少年ゼインは、最愛の妹サハルを、商店を営み、彼らの住む部屋の大家でもある男に売ったことから両親に腹を立てて家を出る。そしてスパイダーマンの仮装をした老人の後について入った遊園地で知り合ったのは、そこで清掃婦として働くエチオピア移民のラヒルだ。
ゼインはまだ生まれて間もないヨナスを育てながら働くラヒルの家で、彼女に代わってヨナスを世話して暮らす。
しかしある日を境にラヒルは家に戻らなくなる。
ゼインは元々家業を手伝って働いてこともあり、ヨナスを連れて街に出て金を稼ぐが、やがて家賃を滞納して追い出されてしまう。
ゼインは仕方なくヨナスと共にラヒルを捜しに街を彷徨うが……。

ゼインは作中でとても子供とは思えない程の生活力、行動力を見せる。
しかし考えてみれば、もとより路上で野菜ジュースを売り、睡眠薬から抽出(これは母親らの仕事だった)した薬物を売り、目的を果たす為に子供の姿を利用して嘘を吐くことを強いられて働いてきたゼインが小さな大人として振る舞うのは当たり前のことだろう。
それは子供時代を奪われた結果として生まれた副産物だ。
僕はこの映画を鑑賞中、その大半を、まるで脳幹のあたりを何かで締め付けられているかのような痛みを感じながら過ごした。

公式サイト内の動画でも明かされているので堂々と書くが、クライマックスでゼインは刑務所の中から両親を訴える。
何の罪で?
「僕を産んだ罪で」
今後ゼインはどうやって暮らすのか? 両親が出世届けを出さなかったため戸籍を持たず、頼るものもいないゼインがどうやって?
クライマックスに辿り着くまでのゼインの姿をみていれば、(それが仮に凝り固まった自己責任論者であろうとも)彼の今後の幸せを思わずには居られないだろう。

ゼイン役を見事に演じたゼイン・アル=ラフィーアは10歳の頃から家族を助けるために働いてきたある種のストリートチルドレン であり、ラヒル役を演じたヨルダノス・シフェラウも幼少の頃を難民キャンプで暮らし、やがてストリートチルドレンとして暮らした不法滞在のエチオピア移民だそうだ。
ゼインはラバキー監督から、ヨルダノスはキャスティングディレクターからスカウトされたという。
この比べられるものが見当たらない程のリアルな映画は、彼らの存在無くしては成り立たなかっただろう。その抜きん出たリアルさはドキュメンタリーを超える強い現実味を持っている。

冒頭で紹介したジーニーは何組かの里親の家に住むことになったが、最後の里親の厳しい躾により徐々に退行していき、結局は知的障害者用の施設で暮らすことになった。
若くしてあまりに過酷な現実を知ってしまったゼインは今後どのように生きるのか? 
本来あるべきだった子供時代を生き直すことは出来るのだろうか?
未来を夢見て目標を定め、生きることに喜びを、生きることの意味と希望を見つけることは出来るだろうか?
心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症して苦しむことはないだろうか?
果たしてゼイン少年は、大人になって社会の中で当たり前に生きていくことが出来るのだろうか?

ちなみに、主人公を演じたゼイン君は国連機関の助けを借りて家族と共に希望したノルウェーに移住し、撮影中に不法移民ということで警察に拘束されたヨルダノスはラバキー監督が身元引き受け人になることで釈放された。
映画を観終わったら、是非冒頭にリンクした公式サイトのトレイラーを観て欲しい。
これらの動画では映画と同型の世界に生きてきて、そこから抜け出したゼインやヨルダノスらの生身の姿が見える。
これだけで泣けること請け合いだ。

ラバキー監督は、この素晴らしい映画を作ってこれを観た多くの人々の価値観を揺さぶり、出演者の人生を変え、そこで暮らす貧しい人々に「これは私たちの映画だ!」と言わしめた。
そして彼女はインタビューに、

「不当に扱われ、放置された子供たちを守ってくれるような仕組みの基礎を築くような法案作りを促すことが出来ればいいなというのが私の究極の夢」(パンフレットより)


と答えている。
これは素晴らしい映画、素晴らしい仕事だ。

僕は声を大にして叫びたい。
『ジョーカー』?
『真実』?
話にならん!!
『存在のない子供たち』を観ろよ! 素晴らしいぞ!
と。

(ストリートチルドレン について興味のある方は以前に書いた記事↓もお願いします)


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