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解離を扱うセンスって・・・?

本当はこの話は漫画の形で伝えたいと思ってたんだけど、
自分の能力と思いが全く追いつかないので文章のみで書いておく。

「解離を扱えない医者が多すぎる!」
米倉涼子さんっぽく言ってみた。
お医者さんもカウンセラーも、どうしてこうも解離を隠滅したがるんだろう。
そんな声をちょいちょい目にする。

めちゃくちゃ大事なのにと感じる解離人格保有者もいれば、その症状がそんな大切なものだなんて思いもしなかった。という人も多いと思う。
また、気づいてすらない人も考えると、相当な人数が心を亡霊化させたまま生殺しになっているのだ。


ヤバい疾患?


これは解離と違う症状だけどね

精神科医が嫌がる疾患と言えばパーソナリティ障害。
あらゆる手段でロックオンした人の心を翻弄してくる。

対して解離はひとたび手をつけられて動き始めると、勝手に何をしでかすか分からない怖さがある。
気づいたら壊れたトイレを別人格が修理してくれてたなんて話もあるけど、本人の意識からスイッチして自傷に及んでるって事もよく聞く。

それぞれの人格とコンタクトをとるようにしたり、共同生活をうまく機能させるとか、他の疾患とは違った未知の対応が必要になる。

それがパーソナリティ障害っぽいキャラだったら治療計画も大渋滞だ。

そんなのと話し合いたがる治療者はめったにいない。


解離のママ友


私自身は軽度(内在性というタイプ?)の解離人格とそのトラウマとかのケアを経て統合に至った経験がある。

医師の話しぶりからは、解離にもいくつかのパターンがある様子で、私の経験が解離の治療が全てではない。

私の実生活は教育や児童支援の現場での職務経験とママ同士のつきあいなんかの中で出会う人、あとは運営しているオープンチャットに立ち寄る人なんかでも、ちょろちょろその傾向の人に出会う。
解離を扱える病院を一緒に探す事もできる時もあれば、解離に気づかれて大慌てで逃げ出す人もいた。
その人は解離のケアで傷つく経験が大きかったんだろうと思う・・・


松永さん(仮名)は 子どもの保育園のママさん兼、私が当時指導員として務めていた小学校の保護者さんでもあった。

保育園で「あら!支援学級の先生!?」と声をかけられた。
たまたま次年度の学校見学とかで見かけたのを覚えていたらしい。

「え、そうですけどよく分かりましたね」と、話していると結構仲良くなった。
子育てに尋常じゃなく疲れた様子で、保育園にお迎えに来るだけで怖くて手が震えるという。

私はあまり自分と同じような サポートの必要な人と付き合わないようにしていた。人のお節介はほどほどにしないと自分だってアブないのに。
けど、何となく松永さんのお行儀の良い人柄に安心感を感じて話を聞くようになった。

お迎えの時間が重なるので、そのたびに
少しずつ、少しずつ、話を進めた。

市のサポートをおすすめしたら、ちゃんと助けを求めることができて。
病院にもかかることができるようになった・・・ものの、おすすめの病院ではないところにかかる事になり、投薬中心の治療方針の病院でますます具合が悪くなっていくのを見ていた。

他人の医者のダメだしは御法度だとは思っていたけど、彼女は看護師でもあった。
「おかしい」と思う勘所は良い。
「良い治療を受けていたらどんな感じだよ」という私の話とはずいぶん違うと言うのもあっただろう。
喫茶店で少しゆっくり時間をとって話していると、彼女には別の人格がいることが初めて判明した。

「え、半年病院にかかってそれ話してなかったの?」
「え、だって、この感じがそんなものだなんて認識してなかったんですよ・・・あ・・・私ね、その別人格が出ると敬語になるんですよ・・・いやだ・・・どうしよう。今別人格なんですよ私・・・」
「そうだったのね・・・」
多分私は包み込むような顔になっていたと思う。

解離人格が表出する気持ちを私は・・・私の中に内在していた子は痛いほど分かるからだ。

どんな人のどんなパターンでも分かるとは言えないけれど、少なくとも目の前のマツナガサン(松永さんはこの人格をこう呼ぶ)が表出した気持ちに、私のかつての解離人格は呼応した。

その当時、私は最後の解離人格が統合してしばらく経った頃だった。
その解離人格は、医師とともに私のトラウマを拾い集めて治療を進めた。
解離人格は統合(消滅)後もその人の中で存在して、やがて自分の人格に良い感じに現れるようになるらしい。

解離人格の名残りが、「マツナガサン」に手を伸ばそうとするのを感じた。

私の知る限り、解離人格は主人格を守るために解離する。
主人格にとって嫌な存在であろうとも、言うに言えないような理由があり、自分を犠牲にして主人格が犠牲になって生きてきたことを伝えるのだ。

そのことが分かる医師に繋がなくては、その人は自分自身の亡霊に取り憑かれ続ける。

解離人格は誰よりもさみしい。

「マツナガサン、本当はお医者さんの治療方針に口出しは絶対してはいけないとは思うんだけど、、、あなたのことをちゃんと分かってくれるお医者さんが身近にいるから、逃す手はないと思う・・・もう一度市にかけあって、転院がスムーズにできるようにサポートしてもらってみて。あなたの思いが優先なんだから」

松永さんの口調が変わった。

「ありがとう。実はね。私今まで、ずっとほしのさんが心の中にいるような感じがしてたのよ。言ってくれる一言一言がずーっと心の中に生き続けて支えてくれるのよ・・・本当に、どうしてかと思ってたわ・・・」

思いがけない言葉だった。

普通は喜ぶべき言葉だと思う。
信頼関係。
絆。
友情。

私が求めてやまなかった、人の役に立つ実感。

けど、その時は喜ぶ気持ちにブレーキがかかった。

この気持ちは私にも覚えがある。
カウンセラーや医師との治療関係の成立は、私の中でこの感情が一番の出発点だったから。

この関係を正しく維持するのは責任が大きい。
専門家はこのためにどれだけの勉強をして、失敗をしては傷つきながら研鑽していくか。
治療にある程度の区切りがついた今、知っているからこそとても責任が持てなかった。

何かあって、松永さんが傷ついたら、転院前の今まだ十分な受け皿がない。
そうなったとき、松永さんのお子さんは、ご家族は・・・


患者として思う結論


結局、治療に挑む難しさは解離に限らない話なのだ。
少なくとも私が経験した解離はトラウマのシンボルだったと言える。

凍結した心の傷が、
人格になる
症状になる
行動になる
多分、色々みんな地続きの部分があるんじゃないだろうか。

患者の表出する部分が自分の経験のない物語だらけすぎて、治療者は自分の裸の人格で勝負しなくてはいけなくて本当に怖いのだ。

めっちゃ分かる。

私自身がこれまで治療者達に陽性にも陰性にも感情転移し、挑み、翻弄しようと、仮面を剥ごうと、幾度となく試みた。
見事に躱し続ける治療者もいれば、しっかりボディに入っても来月には何事もなかった顔に戻るタイプの治療者もいるし、引きずりつつも有能に動き続ける治療者など、それぞれのやり方があった。
(私のそこはかとないパーソナリティ障害みよ・・・)

「精神科医は人生経験がないとダメだ」と言うのを見聞きしたことがあるんだけど、いち患者の私に言わせれば、治療に自分の人生経験を挟まれたらたまったもんじゃない。

多分、解離人格はそんな人に助けは求めないだろう。

強いて言うなら、人生経験ではなく、一つでも自分のトラウマを克服する経験を持ってもらえたら、患者の良きガイドになる糸口がつかめるんじゃないかと思う。

多分、その経験ができるのがスーパービジョンなんじゃないだろうか。

他者の治療をするということは、自分自身の治療に挑むことに繋がるんじゃないのかと想像する。

このスーパービジョンを安定して受けられる場を確保するのが、とても大変なんだと最近知った。

患者が治療者の確保が難しいのと、全く同じなのだ。。。

患者としては先生方の心の奥までなんか知らんけど。。。
この志を持った人たち自身が、この仕事を通して幸せに報いられてほしいと願ってやまない。


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