一言で「毒親サバイバー」と言っても
私は毒親サバイバーの仲間を捜し求めてずっとずっとさまよっていた。
自助団体。
SNS。
デイケア。
地域のサポート支援。
私はどこにも属せなかった。
毒親育ち同士、互いに共感する仲間に恵まれる人もいる一方で、規格外の苦労をしながら自我を保っている奇跡のような人もいる。
そういう人はまるで人生そのものが人体実験のようで、
その人の経験からしか語れない、毒親育ち特有の回復フローを伝えてくれる。
こういう情報は治療者からは開示できない。
私の場合はそういった人たちとは全く逆だ。
早期から恵まれた経験があるがために仲間がいない。
普通はサバイバーなら、情報を探しまくり、色んな病院で傷ついて、
お薬との付合い方に失敗して身体を壊したり、
共依存の恋愛でボロボロになったり、
そんな経験を経てサバイバーになる。
だけど私はそんな苦労をしなくて済んだ。
早期にカウンセリング中心の手厚いサポートに恵まれて、
お薬の必要はごく少量で
フラッシュバックや神経症など、ありがちなトラブルの影響が現れにくい体質に育ったようだ。
一言でサバイバーといっても、誰一人として同じ人なんかいない。
絶対に。
私はサバイバーとして、カウンセラーを身近に感じて育ってきた経験がある。
臨床家のプライドとか教育姿勢とか、一人の人間でもあった姿に生かされてきた。
精神医療が人間の営みだと言うこととか、
患者だけじゃなく、治療者にとっても自分の人格とか人生の一部だと言うことを知っていると思う。
精神医療のツールとして、AIやアプリも有用な中で、私は治療者が人である意味を伝えられるかも知れない。
それが誰かの役に立てられるかも知れない。
これからもう少しうまくこの辺に焦点を当てていきたい。
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