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【エッセイ】ちょうどいい不幸

2017年2月から使っている愛用のTwitterアカウント(@ringorogoro68)が凍結された。

もう凍結してから一週間近くになる。毎日異議申し立てを送り付けているが、あまり解除の期待はできないだろう。

と、いうのもそもそも凍結されるには心当たりしかない。

私は脳直ツイートをするのが大好きなので「(嬉しくて/悲しくて)死ぬ」「(主に某運営企業の改悪に向かって)死ね・殺す」というのは日常的にツイートしている自覚がある。口が悪い。

あとは、初めて見たグーフィーのグッズなどをツイートするときには必ずリンクをつけるようにしているし、それを1日数件ほど行うのでそれがスパム判定されてもまあおかしくはない。

最近では絵文字を多用すると凍結されるなんてこともTwitterの中ではウワサされていたが、私は絵文字は多用しないからこれには当てはまらないだろう。
(私の脳内に絵文字が描かれることは少ないので、気合を入れた『見せつける』ツイートをするときぐらいしか絵文字を使わない)

あと電話番号認証を追加するのが遅かった(今年2月にはそれで凍結された。)。

とまあ、こんな感じで心当たりがあるので「仕方がないことなのかな~」とは思っている。やっぱり少しは悲しいけど。
でも凍結されないために思ってもいないようなマイルドな表現にしたり、リンクを張らないのは私の主義に反する。喜怒哀楽とソースは素直につぶやきたい。

なので凍結も甘んじて受け入れます

しかし、そこで問題なのが私は自分のツイートを見返すのが大好きであることだ。
それこそ年パスを作る前から作ったアカウントなので、パークでグーフィーから頂いたファンサや、グリの内容、ガチャガチャ(ソシャゲ・リアル)の結果とか、自分でも忘れてしまった喜怒哀楽もそこに詰まっていた。
私が死んだときは棺桶にringorogoro68を入れてほしいと思ってたが、アカウントのほうが先に死ぬとはな。

暇があれば定期的にツイログを見返してセルフRTをして思い出に浸ったり、今とは違う自分の考えに物申したりするのが大好きだった。

いまやツイログも凍結されたアカウントのものは見ることができない。

せめてツイログだけでも残ってくれたら全然新しいアカウントで気持ちよく始められるんだけどな。

今は運転免許証を見せてもいいと思えるような人をフォロワーに迎えた劇狭身内垢で生きています。

ただいくらフォロワーはringrogoro68と同じだからと言ってそのアカウントの居心地が同じかといえば全然違うのである。まずおすすめ欄が調教されてないのでおすすめ欄でイライラすることが多い。ringorogoro68は私の些細な趣味もカバーしていたアカウントなのでTLを眺めているだけでもだいぶ居心地がよかったんだけどなあ。

ご覧のとおりringorogoro68に対して未練たらたらなのですが、世の中に存在する全てのものが永遠ではなく、いつか別れるときが来るとは思っています。私はこれをトレグの一件で体験し学びました。

なので、喪失感も悲しさもあるけれども仕方ないという諦めもある。
なによりもともとデータなので、私の手元から何か失ったわけではない。
大切な人がいなくなったわけでも大切なグッズがなくなったわけでもない。
世の中不幸と幸福がバランスよく訪れるのだとしたら、愛用のアカウントを失うことはペイする不幸としてはちょうどいい。

覚えてないことを思い出すことはもうなくなっちゃうのかもしれないけど、
その分覚えている思い出についてはこれから付き合っていくアカウントでバンバン繰り返し発信して長期記憶に残して、最悪長生きしちゃってボケたときに介護職員に長話をして困らせるぐらいにはなろうかと思います。未来の子供たち、ごめんな。おばあちゃんね、ディズニーシーのショー中にスチームパンクの衣装を着たグーフィーにハグされたことあるんだわ🧓

追記(2023/12/14)
すっかり編集するのを忘れていましたが10月7日に凍結解除しました✌
もう二度と変な凍結したくないのでTwitterblueにも入りました。


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