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おいしい日本酒が消えた話

こんにち湧き付き 酵母が湧いて泡が出てきましたね 今期の酒母は今日全部おろしを迎え、おしまいとなります。あぁ長かった。

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さて、ちょっとしたお話。

最近の日本酒について思う事を書きます。俺が思ってる事です。それ以上でも以下でもないですよ。

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大学生時代、青森の弘前にいました。ここは素晴らしい町です。春は桜が咲き、夏はねぷたが練り歩き、秋はリンゴが美味しく、冬はひたすら雪が降る町です。津軽藩の城下町として栄えた後に軍都となり、その後学生の町に変化した町には神社も寺も教会もあり、人々は津軽弁を話す田舎者のように見えていきつけの喫茶店を持っているという意外と文化的な面もあった。西には岩木山が常にそびえ、東には八甲田の山が見え、西には白神山地、リンゴ畑、豊富な温泉と目鼻立ちのはっきりした津軽美人がいるという素晴らしい町です。あぁ、桜が咲くとシンプルに述べたけど、一度見に来るといいですよ。どこの桜よりもきれいです。この町が魅力的すぎて3年生を2回やっていました。

さて、この弘前で日本酒を覚えたと言っても過言ではありませんでした。高校時代はそこまで飲んでもいなかったので、新歓から始まるわけですが、美味しくもない日本酒を先輩が嬉々として持ってくるので、つまんないなと思って部活なんかは辞めて日本酒は好きに買って飲むようになった。が、学生なので当然お金は無く、特別な時だけ買っていた純米大吟醸があった。

最近の青森のお酒と言えば田酒、豊盃、陸奥八仙あたりですが、それではない、ある酒蔵の純大吟で、720ml2,000円で箱に入って売っている。バナナのような香りと潤沢な甘みに、これが純米酒かと感動して、これを毎年数本飲んでいたんだ。それから豊盃を飲む機会が出来たり、じょっぱりも良いやつは美味しいじゃないかと気づいてどんどん日本酒を飲むようになっていた。

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それが高じて結局日本酒を造る側にまわって8年目くらいになるわけだが、ある時に青森に行く機会があり、空港でその純大吟を発見して懐かしくて買ってしまった。どれどれと期待して飲んでみると、…あれ?なんか…微妙っていうか美味しくないなこれ。

個人的にはね、酒造業界に居るので唎酒が出来ます。全国などでの審査員経験は無いし、まだ清酒専門評価者も全問合格とは行かないのでなんとも言えないのですが、それでもそれなりに評価は出来る。その評価をした上で美味しくなかった。予審なら4だなってくらい。評価はカプダレ、脂肪酸、バランス悪、アルデヒド強、といった風合いだった。

そうなんですよ。カプ系になってるんです。なんで?って思ったのですが、この商品はシンプルに考えると出品酒規格で酒を造って、それの斗瓶囲い以外をヤブタででも搾って瓶詰めしたと考えられる。出品酒規格の純米大吟醸だ。かつては恐らく酢イソ系で出品していたか、出品は眼中になかったのかも知れない。9号か7号で造っていたと思われるんだ。それが県か工技セの施策もあり県酵母なんかを使って造って結果ヘタこいたんだろう。それが純大吟として720ml2,000円で売られていた。

あの美味しかったお酒は無くなっていたんですよ。これにはショックだった。そりゃそうだ。金賞を狙ったりしているうちに酵母を変えたり米をどうこうなんて良くある話。杜氏が変わったのかも知れないし、方針も変わったかも知れない。ただ、俺が好きだった純大吟は無くなっていたんだ。

そこで気づいたんだよ。自分が今好きだと思うような酒も永遠じゃないんですね。誰かが造っている以上、それを来年売るかどうかの主導権は「飲み手」になんて一切ないんですよ。

あー、そらそうだ。年で出来も違うものだし、多少の変化はね、と思っていたがまさか酵母まで変わっているとは思わなかった。そういや出品酒も広島で何度も唎酒したがカプ系ばっかだったな…あの酢イソ香る酒はいずこへ…

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と思ったところで、今、酒造りの仕事をしている自分がいるわけで。一般の「飲み手」と違い、自分でうまい酒を造ろうと思ったら造れるような気がしてきた。ふと日本酒界隈を眺めてみると廃業した、経営者が変わった、引っ越した、名杜氏の復活、外国人が造ってる、外国で造ってる、どぶろく、新技術と実に目まぐるしい。そうした潮流の中で、淘汰されていく日本酒の味っていうのも結構あるんじゃないの?と思っているんだよ。それを全部守れとは言えないし、時代的に合わないものは合わないんだから市場から淘汰されて当然とは思う―リンゴで言う「印度」とかが良い例―。

でも、でも俺は!あのお酒が忘れられないんだ!!というものはあるはず。自分が死ぬ時に枕元にあったら幸せだよね。それを他人に委ねてしまうくらいなら自分で造れるようになろうぜ、と最近思い直した。何年かに一度思い出すんだ。忘れっぽくてさ。

2011年の震災ですごく思った事が人間案外何もできねーなという事でさ、電気が無い、食べ物が無い、電話通じない、アレないコレないという状況下に於いて俺はこんな無力で良いんだろうかと思った。そこで、食うものさえあれば生きれると思ってやっぱり農業やろうと思い、その前年に人文学部から農学部に転学部してたから、すごい頑張ろうと思った。ここで留年したわけ。

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更に言えば魚もさばけねぇわ、鳥も解体できねぇわ、女もできねぇわで、まったく俺 is 何?と思って、やっぱり今後何が起こっても食うものくらいまともに得られる環境は大事だなと思うようになった。現金でお買い物が24時間できる便利な世の中だけどさ、棚が空っぽになって真っ暗な災害時のスーパーは無力すぎて…というのは間違いで、スーパーに頼らざるを得ない俺が無力すぎて、将来はいつでも食べ物があるような安心感が欲しいなと思った。それで今は山の集落に家を買って畑もあって、狩猟免許もあって、発電もできるくらいにはなった。ありがたい事にカミサンもいて、またこれが狩猟も魚釣りも農業も解体から調理まで得意で助かる。もちろん津軽美人。ざまぁみろだ。

んで、日本酒ですがね、結局、どこそこの酒が今世紀一番美味しいとか楽しめるのは長い目線で見たら今のうちなのかも知れませんよ。やっぱりトレンドがあるんだな。「飲み手」の方々は美味しいと感じるうちに楽しく飲んでしまいましょうね。

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製造者たち、我々は強いぞ。美味しい日本酒が飲みたいならもう自分で研鑽を続けるほかないなと思っているんです。食糧自給率が低いとか言われる昨今ですが、「輸入が止まるとみんな困るよねぇ」じゃなくて自分が困らないような生活にシフトしていきたいところです。

昨今の日本酒を取り巻く環境の変化も、必ずしも良いわけじゃない。異業種参入、買収、謎ムーブ、海外SAKE、どぶろく、メディア、転売、各種資格…なんというか、もはや日本酒の方向性に関して自分の芯をしっかり持ってないと流されちゃうわ。と、今年は思ってる。

なんでも自分で出来るようになりたいね。酒を自分で造りだせるなら、米と水さえあれば、日本酒を造る事が出来るかも知れないんです。米をカビさせて麹菌を探し、竈で米を蒸し、生酛山廃で酛を造り、野生酵母で醪を立てようじゃないですか。アフラトキシンで死ぬかも知れないけど。

それは大げさだけどさ、自分の腕を磨くことが味を守る事だと思う。長い人生かけて完成させる頃まで、大事に守れるものは守っておきましょうね。

今日の豆知識

オヒョウという巨大な魚は大鮃と書くが、カレイの仲間だ。たまーに北海道のスーパーで並んでた気がするが大きなものは数mになるそうです。