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人生は受け止めるしかない

過去を深掘りするお手伝いをしてもらった。スタエフのもちゃさん企画「#一年前の私へ」で配信してみよう、で探究屋ひでさんという人を知った。お母様のことについてお話ししていて、とても感慨深い内容だった。

夜になってその時間を振り返り、インスタの写真投稿するとき、ポエムも添えたくなった。

楽して人生逃げ切ることばかり考えてきた。
逃げ切れないと気づいて、受け止めるしかないと覚悟を決めたら
人生が充実していると感じられるようになった。
苦しみからは逃げられない。
本当に真正面から受け止められたとき、ただ清々しさが広がっていく。
自分から目を背けない。
私は死ぬまで私を愛しぬく。

思考停止で大きな権威に従って、その通りに生きていれば安泰、一生何事もなく過ごせるように。そんな生き方をしてきたって今言語化できる。
それは本当の幸せじゃなかったから、心のどこかで何かもやもやしたものがくすぶり続けていたんだと思った。本当の意味で自分を大切にしていなかった。

幼いころ、母から戦争の話を聞き、恐怖を感じ、「私が生きている間は何も怖いことが起きませんように」と仏壇に手を合わせたことを今思い出した。

その延長にずっとずっと苦しみを感じない逃げ切り人生を送りたかった私があったのかもしれないと何か糸口が見えてきた気がする。

何か自分を守ってくれる存在の権威の庇護のもとにありさえすれば、その権威に従うことと引き換えにこの身の安泰は保証される。それならば、私は思考停止であなたに従います。ずっとずっとその呪縛を言語化できずもやもやした中、何かが違うともがき続けてきた自分だと、今日うっすらと見えてきた。

人と話すことは自分を知ることに通じる。相手によって心地よかったり、心地悪かったり、いずれにしても、自分に対面することになる。だけど、やはり、心地よい相手と時間を共有することはずっとずっと自分の奥底へと自分自身をいざなっていく道筋が見えてくる。

私は今まで心地よくても心地悪くてもどちらも受け止めて自分の糧としなければいけないと思ってきた。そしてそんな私に「ありがたい宗教みたいなこと言ってたらあかん、あかん」と笑いながら言われた。

そう、自分がはっきりとサインを送っている。心地よいか心地悪いか。そしてそのサインを受け止めてそのサインを行動につなげることが自分自身との信頼関係にもつながっていく。嫌なものは嫌と言っていい。合わないものは合わないと線を引いていい。自分自身心地よく過ごしていい。あなたは幸せになっていい。苦しみは苦しみのままいたいんじゃない。私自身へのノックだから、ちゃんとその声を聞いてあげるだけでいい。

言語化することで、自分の心の開放につながっていく。人と話すこと。文章に書くこと。自分だけの秘密の文章も書くけど、こうして公にさらすこと。

2023年、いかに過ごしたいか。
私は自分自身との信頼関係を基礎から築いていきたい。ちゃんと自分の声を聴いて、その声を行動に移して、その結果を逃げずに受け止める。

ずっと自分に蓋をして、自分の心の声を無視して、何か大きな権威にすがって自分自身をごまかしていたんだったら、そんな自分信じられなくて当然だった。自分が信じられない=自信がない。
この頃この「自信」という漢字の意味をやっとなるほど~と思うようになった。

ひでさんが活動の目的とされている「オセロをひっくり返してその人の人生を輝かせたい!その人が元々持っている核に触れることでその人自身の人生が生きられるように!」目を輝かせながらエネルギーいっぱいにお話しされていた姿はとっても素敵だった。そんなひでさんに出会いたいと思っている人は一杯いるって思った。
出会いは本当に大切だと思う。その人生をどっちの方向へも変えていく可能性を秘めている。できるなら、いいとされる方向にみんな進んでいくことを望んでいる。ひでさんは、その水先案内人であると私は確信している。

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