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自分とフィクションがつながるとき:第32次笑の内閣『12人の生まない日本人』劇評

 人間の脳というものは、どうにも不安なことを次から次へと見つけ出そうとしてしまうものらしい。とはいえ、そんな性質があってもなくても、物価高、進まない復興、戦争、止められない虐殺……不安になるようなことは探さずとも見つけられてしまう。そんな世界で、論理的に「反出生主義」について説く人物が現れたらどうなるだろう。

 『12人の生まない日本人』は、進行役と書記、そして10人の匿名参加者が集まる会議室が舞台だ。堂島町という名の、架空の、とある地方の町で検討されている小学校の統廃合に関する会議を、6番と呼ばれることになる反出生主義者が会議をあらぬ方向――人間は生まれない方がよく、子供は作るべきではない。ゆえに人類は滅亡するべき――へと導く。

 この飛躍とも思えるような展開、つまり自分たちの住む町の教育についての話題がいつしか人類全体への提言へと変化することは、ともすれば観客を置いてけぼりにしかねない。しかし本作では、6番による以下のセリフがある。台本から引こう。

小劇場の演劇はまともな予告がない。チラシを見たって、ちゃんとあらすじを書いていないどころか、チラシ作成段階で脚本を書き上がっていない、出来たのは1週間前とかいうふざけた脚本家も結構いるからな
(中略)
しかもチケットは高い、最近は特に世の中の物価高騰以上に大した劇団でもないのに5000円だの8000円だの取る。なのに椅子の座り心地は良くない。

第32次笑の内閣『12人の生まない日本人』台本より引用 *1

 演劇、あるいは小劇場というものへの自虐、さらに言えば内輪ネタとも言うべき描写である。6番が落ち着いて様子で堂々と反出生主義について説く合間に、このセリフが挟まれる。小劇場に足を運ぶ演劇好き、つまり本作を鑑賞している観客にとっては「あるある」として思わず笑ってしまうことだろう。メタ的なセリフは、観客をフィクションから今現在への自分へと一気に引き戻す。

 家族、パートナー、あるいは個人という最小単位とも言える関係性を通して反出生主義を問う本作において、内輪ネタというエッセンスは、自分ごととして考えることを促すためには有効な手段のように感じられる(「輪」の外側の観客にとっては冷めてしまう笑いではあるものの)。

 本作は、以下の会話で幕を閉じる。

4番「変な芸名」
6番「・・よく言われるよ」

第32次笑の内閣『12人の生まない日本人』台本より引用 *2

6番を演じる「髭だるマン」という芸名の役者による、言葉。この言葉は、観客をまた現実世界へと引き戻す(*)。メタによる俯瞰の視点と、身近な視点を行き来する――そのことはきっと、今の自分と人類の未来、現実とフィクション、そういった離れた地点にある思考を、つなげるだろう。

*1
台本p.22

*2
台本p.50

*3
作中、廃校になる小学校の跡地利用について語られる場面があった。アートの町を目指すという構想は、今回の会場であるTHEATRE E9 KYOTO(倉庫をリノベーションした施設)や立地(東九条はアートの街としての取り組みが行われている)を想起させた。

参考:
崇仁地区をめぐる展示(前編)「タイルとホコラとツーリズム」Season8 七条河原じゃり風流:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

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