見出し画像

「お前繊細さんのくせに・・・」「出た!非繊細!」我が夫婦がやいやなっております(笑)

「信号青やで」

と信号が青になって0.5秒後に言うわたし。

後ろの車に迷惑かかると思ってしまうのです。(詳しくは昨日一昨日の日記を。)

今日もそのセリフを言った瞬間に、あ、これ繊細さんだ!と気づき、いつもそれが言われるのが嫌な旦那はイラッとしていました。笑

旦那は後ろからプッと鳴らされても平気。(わたしがビクーッ!!と軽く飛び跳ねるくらい焦る笑)

ゆっくり景色が見たいときはどれだけ後ろに煽られても、追い越し車線がない道路で後ろに車が詰まってても、気にせずゆっくり走ったり。(そんなときはわたしはもう景色どころではない笑。バックミラーや後ろ振り返ってハラハラしている笑)

そしてドライブスルーに寄ったとき、

「今から食べ物くるんやで。置けるスペースとかあけといてや。お前は繊細さんのくせにそういうところ気がきかへんよな。」

「出た!非繊細さんの言葉や…」(お互いジャッジ笑 そして私は一人傷つくのです笑)

あっちゃん、

「非繊細さんは繊細さんがいることを、繊細さんも非繊細さんがいることを理解し合いましょう!」

と言っていましたが、しばらく我が夫婦は敏感になり、「繊細のくせに」「出た!非繊細や!」とやいやなりそうです。笑

繊細さんにも非繊細さんの部分があること、非繊細さんにも繊細さんの部分があること。

そこも理解しておこう♡

旦那は元々は繊細さんだった。社会で揉まれて、今でいうパワハラも受けたり辛くて辛くて、「これじゃダメだ。生きていけない!」とたくさんのマイルールを作り、非繊細さんになった人。(本人もそう言ってるし、私もそう思う。心の奥底は繊細だとわかってる。)

だからこそ彼は、

「やっぱり繊細も非繊細になれるねん。メンタルは強く鍛えていかなあかん。やっぱり根性論は必要。(息子には)もっとスパルタに鍛えなあかん。優しいだけじゃこの世界は生きていかれへんねん。もちろん世界が変わっていったらええけど、そう簡単に人間は変わらんからな。」

と、言う。

息子は本当繊細で優しい子やから、わたしはそのままでいて欲しいし、辛くても助けてくれる人に出会えると思っているし、どこかのタイミングで環境やら強くなるような出会いがあると信じている。

わたしも高校の部活で顧問の先生に出会うまでは、スーパーへなちょこで行動力もなく、セールスの電話を切る勇気もなくて、向こうが喋ってることにろくに返事もできず、話の途中で姉に受話器を渡しちゃうくらいだった。

それが超体育会系でしばきあげられた(マジのしばき!笑)あとはセールスもバシバシ断り(笑)、中国へ一人で行っちゃうくらい。海外とは無縁だった親や親族からも「この家系でまさかみゆきが行くなんて信じられへん…」と言われたもんです。

なので、人生はわからない。わたしは人それぞれタイミングがあると思っている。(なかったらなかったで、それは必要なかったんだなって思う)


ただ、ひとつ気になるのは、

繊細さんが非繊細さんになることで、断ったり、嫌ったりできるようになることで、自分の心の声を大切にできる、

一方で、

自分の本当の心の声と繋がれなくなる(見えなくなる・聴こえなくなる)って側面もあるんじゃないかって。

えーっと、、、
ちょっとうまく言語化できないな。。。

繊細なところを非繊細化していくことで、柔らかくてその人にしかない美しさを持った心が、ガチガチに硬くなっていく?のではないか、誰かの痛みがわからなくなっていくんじゃないかっていうこわさみたいな?

わたしは断ったりできるようになったものの、繊細な部分を失くしていきたいわけじゃないし、ますます大事にしたいと思えるようになった。

痛みをあまり感じない人もいて、そこに良い悪いもなくて、だからこそ、痛みを自分の痛みのように感じる人もいて世界のバランスが取れているイメージ?

世界の痛み(貧困など)が誰一人、感じられないような世界になってしまったら・・・

でも繊細さんの脳のシステムは人口の20%。これってきっと世界を守るための采配じゃないのかな?と。

どうせなら50/50にして欲しいけど。5分の1だから辛いよ、結構。。笑


そんな中、

「繊細さんとか括られるのが嫌だー」

という友人もいて、それもよくわかる。

落ち着きのない子にはADHDとか、わたしはあまり好きではなくて、みんな名前をつけないと安心できないんだな、不安なんだなって思うんだけど「誰を基準に判断してんの?」っていうのは常にある。

いわゆる一般の常識(この言葉も好きじゃないけど笑)から違和感を感じる人たちには名前をつけて、いわゆる普通の人たちはそれで安心する。わたしには分断の始まりでは?と思う。

もちろん名前をつけてもらったことで、楽になる人もいる。繊細さんだって、わたしもおもしろーい!となったし、「繊細さんだったんだ…」って安心して涙が出たって友人もいた。一方で、苦しむ人だっているってこと。


「あなたはこれが好きなんだね、
これが嫌いなんだね。」

「わたしはこれが好きなんだ、
これが嫌いなんだよ。」

「あなたはこれが苦手なんだね、
これが得意なんだね。」

「わたしはこれが苦手なんだ、
これが得意なんだよー。」


それだけのことじゃん、
それでいいじゃん、ってね。

そんな世界を願っているんだよね。

なんで名前をつけないと、
安心できないような社会の構造なの?

なんで名前をつけないと理解し合えない、
受け入れてもらえない社会なの?

そこを考えていきたいかな。


繊細さんの動画からこんなところまでたどり着きました。笑
いやーでもおもしろかった!

さて、夫婦間でしばらく「繊細さん」ネタは続くのでしょう。明日はどんなジャッジが待っているのかしら?笑


では、また明日。

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡