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第二章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション① 〜道徳を持ちいる〜

NVCの本に沿って書いていくシリーズ第四回目。

今日から第二章に入っていきます。

では早速、続きを書いていきますね。
ともに深めていけたらうれしいです♡

——————————————

わたしたちは生まれながら人を思いやる気持ちがそなわっているのに、それを発揮できなくなっていくのはなぜか。

マーシャルは研究を重ねていくうちに、「ある言葉やコミュニケーションは思いやりを持ちにくくさせ、人や自分に対して暴力的にはたらくことがある」と気づいた。

NVCとは、お互いが大切にされて、心の底から自然に相手に何かをしたくなる関係。

それを難しくさせてしまうことがある。

① 道徳
② 比較
③ 責任回避
強要
⑤ 報酬と罰

この5つが思いやりを持ちにくくしてしまう。


では、ひとつずつ探くみていきますね。

《① 道徳》

道徳をふりかざして、人を裁く。

「あなたは間違っている!」と非難したり、
「お前は仕事ができない!」と侮辱したり、
「あいつは無責任な人間だ!」とレッテルを貼ったり

相手が自分の価値観とは合わない言葉を言ったり、行動をしたりすると、相手のことを「悪い」とか「間違っている」と決めつける。

正しいかどうか、間違っているかどうか、
評価して、相手にそれを押し付けるのが今の世界…


それだと、心と心がつながり、お互いが大切にされて、自然と相手に何かをしたくなる関係は難しくなりますよね。


わたしたちは、自分の内面を見せずにすませる事務的なコミュニケーションをとても小さいころから身につけてしまった。

あれが気に入らない、これは理解ができない、そんな人々の言動に直面すると、相手のどこがダメなのかを探し、そして決めつける。

・宿題をたくさん出す先生を「うっとおしい」先生だといったり。

・道を塞いで座っている若者たちに対して、あいつらは「バカ」だ、きっと親も「バカ」なんだろう、と思ったり。

・恋人同士、彼は週末だけ会いたい、彼女は毎日会いたい、彼はそんな彼女のことを「依存している」といい、彼女は彼のことを「冷たい人間」だという。

・子供がゲームの時間を守らなかったら、親は「言うこと聞かない悪い子」だという。

・自分よりも細かいところまでこだわってする人を「神経質」な人!あの人きっと「A型」よ!といったり、相手はこっちのことを「粗くてテキトー」な人だ!きっと「B型」よ!と言ったり。
(血液型の例は日本特有なので書いてみた笑)

・アンパンマンは「良いヒーロー」、バイキンマンは「悪者」だったり。


常に、相手(自分)を分析し、その言動のどこがいけないのか、どこが間違っているのか、

「裁くことでしか、やりとりしていないコミュニケーション」

である、と。


このように人を分析する言動は、本当は自分の大切にしていること・価値観の「痛々しい」訴えなのだと、マーシャルは言います。

「痛々しい」訴えって、なに???

相手の言動に何か引っかかりを感じている状態に、さらに分析して批判などをするというのは、相手に対してより一層防御的になったり、抵抗感を強めてしまう、だから痛々しい表現なのだと。


んー、

例を考えてみますね。

んーっと、、、

上司と部下がいる。

部下が失敗をして客先を怒らせたとき、上司は「お前はホンットバカだな!そんなもんこうなるなんて考えたらわかってたことだろ!仕事ができないヤツだな!!」と言った。

すると、それを言った上司は、部下に「バカ」とか「できないヤツ」と自分自身で決めつけ、レッテルを貼り、その後、そういう目で見るようになっていく。すると、部下に対して、より一層防御的であったり、警戒心を持ったり、抵抗感を強めたりしてしまう。

そして、仮に相手がその分析を受け取り、こちらの価値観に沿って行動を取ったとしても、それは恐れや罪悪感、恥の意識からの行動である可能性が高い。

上司が「バカ」「できないヤツ」と言い、それを部下がそのまま受け入れたとき、部下は上司の価値観に合わせて必死で仕事をしたりする。それは怒れらないようにとか、批判やレッテルを貼られたこわさや、自分への恥ずかしさからの行動である可能性が高い、ということ。

すると、心の底から自然と何かを与えたい、貢献したい、というような気持ちはなくなっていってしまう。。

強制力を感じて、上司の価値観に従っているだけ、となると、部下の心から与えたい、貢献したい、という善意はどんどん減っていき、問題が起こったりする。

そして、部下自身も恐れや恥の意識から行動をし続けると、憤りが湧いてきたり、自己肯定感の低下に苦しむことになる。

これを繰り返すと、部下はもう上司が大切にしたいことや、上司の価値観に対して、思いやりを持つことはなくなっていくだろう。



より深く理解するために、もう一つ例えてみます。

今度は、親と子供。

サッカーの試合で点が決められず負けた子供に対して「本番に弱い子やなぁ!あんたはほんまビビりやわ!!情けない!!」と言ったとする。

子供というのは、親のその分析をそのまんま信じて受け取る。そして、その分析や、親の価値観に合わせて、必死になって練習をするかもしれない。

でも、それは、恐れや罪悪感、恥の意識からの行動である可能性が高い。

点を決められなかったこと… 恥ずかしい…
観にきてくれたのに負けた…ごめんなさい…
もう悲しませたくない…
もう怒られたくない…

そんな風に、恐れや罪悪感、恥の意識から行動をし続けると、いつか親に対して憤りが湧いてきたり、子供自身も自己肯定感の低下に苦しむことになる。


この二つの例で、理解していただけたら、うれしいなぁ。

ちなみに、わたしはこの章に掲載されているこの言葉がすきです↓

「まちがった行いと正しい行いという思考を超えたところに、野原が広がっています。そこで逢いましょう。」 ジェラルディン・ルミ


みなさん、

そこで逢いしましょう。

では、今日はここまで。
またシリーズのつづきをお楽しみに♡

今日もハートフルな一日をお過ごしください♡


また明日ココで。

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