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【幸せなんだけど、100%満たされ切れないのはなぜ?】

家にテントを張っています。

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旦那が買ってきた。この中でカレー食べてみたり、寝る前に絵本読んでみたり。

わたしはなぜかこの中に入るとホッとしてすぐ眠くなる。テントって不思議。

この間こっそり閉めてお昼寝したら、娘はわたしが出かけたと思ったそうで、「おかーたんいないよ。おとーたん、おえかきしよー。」と旦那のところに来たらしい。旦那も私がおらんって思って相手してたらしく、お陰でめっちゃ寝れて幸せやった♡笑


さて、今日は、せいちゃん講座で出てきた言葉に、確かにーーーって思ったことをシェア。

それは「人類みんなが幸せじゃないと、人は心から幸せだと思えない」って大きな話。(そんな風に言ってたかな?笑 でもわたしはそう捉えた笑)

人はほとんどすべて他人との関係を通じて満たされている、あるいは満たされていない。

他の人のニーズが満たされない時、自分の中にあるニーズの一部は満たされ切らないときがある。

世界にある満たされないニーズは、自分につながっている。

・世界のどこかで戦争や争いがある限り、「平和」というニーズは満たされ切らない。
・世界から貧困がなくならない限りは、「心の平穏」というニーズは満たされ切らない。

これ本当そうだなぁと思っていて、わたしの身の回りの日常で考えてみると、

わたしの旦那さんはある程度の収入があって今すぐ生活に困ることがなかったとしても、それでも100%心から安心に満たされているかというと、そんなことはない。(もちろん今の生活への感謝は変わらない。)

わたしはわたしの経験から常に誰かの顔が浮かんでくるんだ。ずっと前だけど、過去に共働きの友人から生活がギリギリで「みゆきはいいなぁ。働かんでよくて。」と言われたことがあったり、「専業主婦になりたいけどそんなの無理。そっちの旦那さんはいいよね。」と言われたことがあったり。

その度に胸がきゅぅ…と締め付けられる。今、思い出しただけでも…


もっと広い範囲で見ても、世界には貧困があり、わたしが住んできた中国やフィリピンには小さな子どもの物乞いもたくさんいた。よりたくさんの同情を買い、より多くのお金を集めるために手足を切られた子供が、ローラーのついた台に乗せられてポツンと道路の真ん中にいて泣き叫んでいる。箱にはたくさんのお金が集まっている。でも近くにそれを影から見ている大人たちがいて、その子自身にはお金は入らない…

あの光景を見た瞬間、わたしの身体と心はすごく緊張し、近づくことも、見つめることもできず、涙を溜めながらその場を去った記憶がある。今でもあの瞬間を思い出すと涙が出そうになるので、わたしの中に痛みとしてずっと残り続けていて、その痛みと共にわたしはずっと生きていこうと思っている。

フィリピンに短期留学をしていた時は、当時先生たちのお給料は月7000円で、先生たちは生徒とごはんへ行きたがり、奢ってもらっていた。女性の先生は外国人の生徒と恋に落ちて、この国から出て裕福な生活ができると思って夢を見ていた。実際にそうなった先生もたくさんいた。

先生の家に遊びに行ったことがあるけれど、わたしにとっては当たり前だった家電(洗濯機など)はなく、その集落自体も治安は悪かった。でも子供たちの笑顔は最高だった。

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衛生面も良いとは言えず、帰る時も危ないからと、先生がタクシーに乗るまでしっかり周りを警戒してしながら側にいてくれた。外国人の学校で先生をしている(=お金がある)だけで狙われるので、先生たちは毎日通勤ルートを変えていた。学校は刑務所のようなコンクリートの高い壁に覆われ、外が見えなかった。ライフルを持った警備員が門の前に立って24時間守ってくれていた。

なので、わたしがたとえ今の生活に感謝をしていたとしても、常に思い出す大切な人たちの顔があり、紛争や悲しい事件があり、わたしの平和や安心・心の平穏というニーズは満たされていたとしても、満たされ切れているわけではない。

他にも、母を亡くして孤独を感じながらも一人で生活をしている父、身体が強くないのに仕事が忙しい兄や、小さな3人をワンオペで育てている姉を想うと、わたしは完全に満たされているとは到底思えない。

「脳神経は自分一人で完結していない。仲間の影響に対して、私たちの脳は影響を受ける。」

ってケンさんがおっしゃっていたことを思い出した。

でもそれでいいんだなって。

幸せだなぁ、ありがたいなぁ、って感謝の気持ちもいっぱいあって、でもそれでも100%満たし切れていないのはとても自然なことで、わたしには大切な人たち、会ったこともないけれど地球上の人たちが、みんな幸せであって欲しいという願いがあるんだ。

スケールが大きいけど、その願いがあるからこそ、満たされ切らないニーズがあるんだなって。

満たされ切らないんだけど、それってみんなつながっているからなんだなぁ、素敵だなぁ、世界はやさしいなぁって感じていて。

わたしが満たされないときに、誰かがわたしの分も満たされているかもしれない。わたしが誰かの分も満たされているときもあるかもしれない。そんなことにわたしは希望を感じられるんだ。

そんなとってもシンプルなことに気づかせてもらえたのでした。

ありがとう♡


そんなことを考えていたら、今日は娘に♡をめっちゃ作らされています。笑 兄の折り紙のピンクがなくなってしまった… バレたら怒られそう笑

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イースターのたまごに詰めて、別の部屋で仕事をしているお父さんへせっせと何往復もして運んでいる。いつもはお仕事してるから入っちゃダメだよ〜って言うんだけど、ハートを運ぶなんて可愛すぎるからまぁちょっとくらいいいよね。笑


では、ハートゥーな一日を♡

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