母が「そこに居れば」それだけでいいのだ。
かくれんぼ。
「おかーさんオニね!」
「もーいーよーー!」
「・・・・・・・。」
かくれる方が、目を隠せばそれもかくれんぼになるのだ。
かくれんぼの概念がぶっ飛ぶ。
頭がカチカチなのは私だ。
こちらは珍しい三連休。
旦那はゴルフ合宿へ。
行く予定じゃなかったんやけど、
わたしが 「行かないの?行っておいでよ?」と言った。
旦那はめっちゃ驚いていた。
わたしもなぜか自然と言えたんだよね。
なんでやろ?
(でも先週も出張で、来週も連休明けたらまたいないと聞いて、ちょっと後悔する。。笑)
そんなこんなで旦那は早朝に行ったようで、
わたしは子供たちに何度か起こされつつも11時まで寝た。
子供たちはバナナで飢えをしのぎ(笑)、 タブレットやらテレビでYouTube見たりと過ごしていた。
そして、やっと起きた母は、
自分だけ身支度をし、
「おーい、スタバに朝ごはん行くで。はよ着替えーやー。」
と、ものすごい勝手なことを言い、
子供たちに「はよせぇ」と急かしたのです。
「朝ごはんじゃねーし!もう昼だし!」
と息子は言いつつも、ワイワイスタバでチーズボックス、ヨーグルト、クロワッサンと各々食べたいものを頬張った。
公園へ。
週末の公園ではパパばかり。
日本もこれが週末の風景になる日がくると思っている。
先ほどの、とてもシンプルなかくれんぼをしたりして、遊具で遊んだりして家に帰る。
家に着いてからは子供たちの遊びにわたしも珍しく途中まで参加し (たぶんしっかり寝たから参加する気になった)、夕飯作りつつ、mixiやnoteを書いてのんびり過ごす。
長老と呼ぶ友人に言われたこと。
「旦那さんが忙しいときほど、いないときほど、せかせかするんじゃなくて自分の好きなことをする。」
これをかなり意識している。
確かに、旦那不在やと、
全部わたしがやらなあかん!
一人で子供見なあかん!
あれせなこれせなあかん!
っていつもの何倍も忙しく追われている気持ちになる。
そうなると余裕がなくなるし、そらイライラするよね。わたしは神ではないしね。
なので、旦那がいないときほど、
「わたししかいないから起きないと!」
じゃなくて、好きなだけ寝る。
「ごはん作らないと!」
じゃなくて、冷凍ピザにする。
「部屋片付けないと!」
じゃなくて、もう数日出しっ放し。笑
「洗濯畳まないと!」
じゃなくて、洗濯の山から探して着てねー。笑
そして、mixiやnote書いたり、
好きなことして過ごす。
その方がわたしも穏やかだし、
子供たちの安心にもつながるよね。
わたしがごはん作らず冷凍ピザにしようが、
洗濯を山積みにしようが、
好きな音楽聴きながらmixi書いてようが、
子供たちは意外となーんとも思っていない。
「ヘルシーなごはんちゃんと作れていない!」
「洗濯物をちゃんと畳めていない!」
「スマホやタブレットから離れていない!」
「ちゃんとできていない!」
自分をジャッジしていたのは自分だけだったことに気づく。
(初めて太字にしてみた。mixiにはない機能だ…ドキドキ。笑)
掃除をロボットがしていようが、
食器を食洗機が洗っていようが、
子供たちには知ったこっちゃない。
「怠惰な母だ…」と思っているのは自分だけだった。
子供たちは、
ねーねーって話しかけてきた時に、
なんやー?って答えれば、
見て見てーと言われて、
なになにー?と見に行けば、
母が「そこに居れば」それだけでいいのだ。
そういえば、ココさんにも言われたなぁ。
「お母さんがボーッとヒマそうにしていることが、子供にとってとても安心できる空間になるんだよ。」
と。
忙しくして忙しくして、話しかけ辛いより、いつでも話しかけられる安心感。
こういうことなのかなぁと体感しています。
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡