僻んでいる時間
昨日noteにも書いたし、Facebookにも連日あゆのことを投稿していましたが、わたしは浜崎あゆみさんを心から好きとは今まで思えなかった。
なぜなら・・・・・・・・・?
ただただあの容姿に僻んでいたー!笑
(シンプルに恥ずかしいやつー!笑)
あの頃、昭和顔のわたしは男性に全くモテず(あの頃ではなく、今もか。笑 女性には彼氏にしたいとよく言われていたなぁ。)、大学のころバイトをしていた居酒屋に来る常連の70前後のおじいちゃんたちには大人気で「こんなべっぴんにもう死ぬまでに会えると思わんかったー!」「もう死んでもーたけど、あの女優を思い出すわー。」「みゆきちゃんは俺が大人の女に育てたい。彼氏は作らないでくれ。」などとよく言われ、なぜわたしは平成という時代を生きているんだ!?損してるやないか!!と本気で思っていた。(あれから20年近く、あの常連のおじいちゃんたちは生きていて欲しい……)
そんな当時、わたしの口癖?みたいなのがあった。
「わたし昭和顔で70、80のおじいちゃんにはモテるんですけど、現代の男性にモテないんです。顔がイマドキの顔じゃないんですよね、あゆみたいな顔やったら人生変わったやろうなぁー。」
と。
これほんと、よく言っていた。
もうこの言葉を聞いてるだけで、モテる気がしないよね。完全にモテない言い訳である。笑
そしてわたしの横にはあゆみたいな顔をした平成の全男性にモテる友人がいつも隣にいたんだ。そしてわたしは彼氏のように彼女に振り回され、19歳にして胃カメラを飲んだんだった(大学生、そこ苦労する?笑)。彼女はその後キャバ嬢の世界へ、それから音信不通になった。元気かなぁーって今でもよく考えている。
ほ・ん・で、
ここ最近、あゆのコンサート動画を見ていて、可愛くて可愛くて、コンサートのエンターテインメント性も最高だし、歌詞もすごくエネルギーが込められているし、あゆのファンじゃなかったこと、コンサートに足を運んでいなかったことに、後悔の念。。。
そして、その理由が、、、
「容姿に僻んでいた」
だなんて・・・笑
でもわたしはモテない自分を、この時代の「イマドキ」の顔でなかった生き辛さから自分を必死で守っていたのだ。そうだ、そのはずだ、そう思いたいぞ!
ハイ、コロナからあゆを再び観る機会ができて、学びました。
『僻み』というのは、『豊かさ』から遠ざけるということを。笑
さて、明日からこちらサンノゼも休校です。
わたしは至っていつもどおり、mixi書いて、note書いて、YouTube見て、歌って、踊って(ギックリ腰で?)、お昼寝して、時々ごはん作って、過ごしたいと思います。
旦那とも話し合ったけど、わたしたちは自分がストレスフルにならないようにまず気をつける。このスタイルでいきます。親も子供も自分のやりたいことを各々やるだけ。一応先生からオンラインであれこれ課題は届くからそれは参加させるけど、他にわたしたちが無理して、勉強させたり、あれしろこれしないでおこうとなった。数週間勉強しないだけで死にはせん。また伸びたらその時にまた話し合う。子供は柔軟だ。
もちろん、我が家はこうだけど、各家庭で考えて、精一杯今できることをされているんだと思う。
なんでもいい。
すべてがベストである。
では、このhardな時期、difficultな時期を一緒に乗り越えましょう!
(これ、アメリカ人がみんな言ってる言葉!)
希望に満ちた一日を!
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡