頭ではなく心。
クローバーちゃいます。
かいわれ。
サラダにかいわれ(ココでは日系スーパーで手に入ります)入れたら、
「あれ?ハート♡でいっぱいじゃん!」
となり、思わずクローバー風にした。
たくさんの愛を込めて。
そして旦那に、
「最近、お前ネイティブアメリカンみたいになってきたな。」
と言われた。
ナゾである。笑
さて、こちらは今日も空が青い。
朝、子供たちの自転車に付き合う。
(運動のための外出はOK。ただし、人との距離は2メートルとること。)
野生のリスがたくさんいて、子供たちの自転車が近づくと、食べ物を探しに芝生の上にいたリスたちはサササーッと穴の中へ逃げていく。
ねぇ、人間が外出禁止になったこと、知ってる?
ねぇ、スーパーがごった返していること、知ってる?
ねぇ、仕事がなくなって困っている人たちがいること、知っている?
ねぇ、
たくさんの人たちが亡くなっていること、
知ってる?
リスたちは今日もいつもと同じように過ごしている。
そんなリスたちの姿をみていると、
一番無力なのは人間だなーって思った。
朝ごはん。
キヌア入りごはん。
豆腐ときのこのお味噌汁。
鮭と大根おろし。
切り干し大根。
鮭の切り身がアメリカンサイズ。
あーやはり和食が好き。幸せ♡
そして、フッと2年ほど前の自分との変化に気づく。
それは、あるものに感謝しているということ。
無理してそう思おうとしているのではなく、自然と思えているところが今までと違う。
頭ではなく、心。
今までの自分なら、
「こういうときこそ、免疫力だ!
添加物なし!オーガニック!
加工品なし!お砂糖なし!
カップラーメン食べるくらいなら食べない方がマシ!
レトルトよりも自分が作ったもの!」
と、ますます厳しくしていたと思う。
でも、今は冷凍庫にある旦那が愛食している、
「吉野家の冷凍牛丼」
「味の素の冷凍ギョーザ」
たちの存在にも、ありがたいなぁ♡と心から思え、ニコニコしながら眺めている。
前までのわたしなら、
「こんなの、こんなときにますます食べたくない!」
と、睨んでいただろう。
旦那がこの手のモノを好むのさえも本当に嫌だった。
「添加物まみれとかラーメンとか、毎日そんなものばっか食べて病気になったらどうするの!?独身なら勝手にしてくれたらいいよ、でも今は家族がいるんだよ!?病気になったら家族が大変になるのわかってる!?もっと責任持ってよ!!」
と。
でも、これって結局自分のことしか考えてなかったなぁって今ならわかる。
健康でいて欲しいって気持ちももちろんあるんだけど、わたしの場合はそのあとの自分が子供二人いてさらに大変になるのが考えるだけでゾッとして、イヤで仕方なかった。
ただ、わたしがそう思うことに良い悪いはない。
わたしがそういう風に食に興味を持ち始めたのは、息子が2歳になる前に病気が見つかり、必死だったんだ。しかも母の葬儀の翌日に小児科に呼び出されて、大学病院を紹介されて、頭真っ白になった。支えて欲しい愛する人はアメリカに先に行っていて、寝込んだ父を支える日々も始まって、泣き叫ぶ息子を託児所に預けて教習所も通い、引っ越しの準備もして… もう心も身体もボロボロのボロボロ… 生きてる心地がしなかった。身体は在るのに死んでいるみたいな感覚だった。 そんな中、自分なりに本読んだりたくさん調べて、食養生に行き着いた。だから当時のわたしにとって、添加物や農薬や加工品などは完全に「悪」になっていったんだ。でもそうやってそのとき精一杯できることをして生きていたの。
当時のわたしにハグ。。
(その後、息子は超元気。)
旦那さんにこの気持ちを理解してもえなくて、寂しかったんだよね。
健やかに安心して暮らしたくて、不安だったんだよね。
万が一、何かがあって息子もいて、支えがなくなることが怖かったんだよね。
配慮や思いやりを感じられなくて、わたしたちの人生や命を大切にしてもらえていないような気持ちになっちゃって、悲しかったんだよね。
うんうん。
そして、あれから数年が経ち。
いろいろな経験を経て、善悪の世界で生きている自分に気づけるようになり(善悪の世界が悪いわけでもない。ややこしいな。笑)、気づいたらあんなにも嫌だった「特定の食べ物」に過剰に反応しなくなった。
わたし自身が食べ物に対して「分断」をしていたんだ。
これに気づけたこと、すごくお祝いだなぁ。
もちろん、これからもできるだけありのままの姿をした食物をいただいていこうとは思ってはいるんだけど、違う姿になったものも、あるものに心から感謝をしていただいていこうと思っています。
冷凍餃子はウマイんだぞっ♡
いやー、成長成長。笑
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡