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”I love you”の日本語訳を「月がきれいですね」とした夏目漱石の逸話は有名だけど、わたしはずっと「意味がわからない……」と思っていた。ところが、ある瞬間、わたしなりに すとん と納得してしまった。 どうしてこの言葉が「愛している」になるんだと思う?と友人に聞くと、「月はきれいだけど、あなたの方がきれいです、ってことかな」とか、「月は女性の象徴だから、相手を月に例えて、間接的に伝えているんじゃないかな」と答える人が多い。 他にもいろんな考え方があって、例えば「同じ月
人を好きになる、といっても色々ある。 一目惚れをする人、だんだん好きになっていく人、初めから「いいな」と思っていた中から選抜していく人…(あはは) わたしの場合は、恋に「落ちる」瞬間がある。友人にそう言うと、意外と共感を得られないのだけれど、恋に落ちる(fall in love)という言葉があるのだから、きっと同じ感覚を持っている人がどこかにいるんだと、思っている。 一目惚れはしない。恋をしてしまうのは、だいたい一年以上知っている人。それまで一度も、「もしこの人と付き合
生暖かい空気たちが勢いよく駆けていくのを感じると、たくさんの「懐かしいあの日」を思い出す。くるくると舞う木の葉とともに、忘れかけていたささやかな日々が「あたしはここよ」と踊ってみせる。きっとこれは、私だけに起こることじゃない。春の風は、優しい記憶を運んでくる。 風は、見えない。砂埃が舞うと、風が吹いていると認識できるけど、風そのものを目で捉えられるわけじゃない。それでも、皮膚は、風が好きだと叫んでいる。大切なものは目に見えないと、星の王子さまは言った。代わりに、大切だと感じ
ブルーハーツの「情熱の薔薇」がすき。自転車を漕ぎながら口ずさんで、あまりにもいい曲すぎて、思わず泣いてしまったことがあるほど。 わたしにとっての情熱って、そういうもの。心のずっと奥の方にあるもの。 少し前に、いわゆる熱血タイプの人(「熱い」人間であることを自称もしている)と話す機会があって、わたしは自分の生き方とか大事にしている考え方をいくつか伝えてみた。すると彼は、何かを感じたらしく「俺の女版だと思う!!!!」「同じものを感じる!!!!」と熱く語りだした。わたしは「違う
ずっと行ってみたかった「砂漠」へ行った。 空がとても広かった。砂漠と星空の組み合わせは、切ないくらい綺麗で素敵だった。もしここに住んでいたら、サボテンや星にたくさん慰められるのかなあ、なんて思った。 それから、ちょっぴり不安になった。夜空には星があまりにもたくさんあるから、あの中の星から空を見上げたら、地球もそのうちの一つにしかすぎなくて、見つけられないんじゃないかって。 そうしたらわたしは、故郷さえも見分けられないことや、どこに向かって手を振ったらいいのかわからないこ
悲しい話は消えない。誰かが新しい命に喜ぶとき、どこかでは失われた命に泣いている。死にたいと思いながら生きる人がいる。生きたいと思いながら死んでいく人がいる。寒さに凍える人もいれば、暖かい家の中で苦しむ人もいる。どんなに社会が発達しても、世界平和はやってこない。平和はどこにあるのだろう。 とある友人に、不安や心配になるのはサタンの仕業だと言われた。人間が本質的に悪い存在でないのなら、サタンに憑りつかれてしまっているせいで悪事を働いたり、動揺したりするのだと。根っから悪い人間な
どんなに歩いても、どんなに走っても、置いてこれないくらい悲しいこと 悲しさすべてを手放すつもりはないけれど せめてもう少し、軽くなれたらと願う 。o ○ 飽和した悲しみの中では、涙に気づけない パチン とはじけるためには、涙を流すと いいと思う 身体の中から、毒が出ていってくれる 。o ○ 慌ただしい日常のなかで、わたしたちは「悲しい」という気持ちさえ、どこかに置き去りにしているような気がする 無視して生きていかないと、今日を乗り越えられない 本当に「
見つけると写真に撮って誰かに送り付けたくなるほど、昼の空に浮かぶ、白い月が好き。雨上がりの公園に光る、水たまりが好き。自然だけじゃない。観覧車や気球のような、人が造ったものだって、たまらなく好き。眺めていると、瞳が、心が、澄んでいくような気がする。性格まで優しくなれそうな気がする。さすがにそれは、気のせいだけど。 生きるっていうのは大変だ。しんどいことはたくさんある。だから、好きなものは多いほうがいい。わたしに見えている世界はわたしだけのもの。嫌いを減らして、好きを増やせば
早起きは苦手。それでも、旅行へ行く日や友達の家に泊まった日なんかは、太陽よりも早起きして、大急ぎで身支度をする。大好きな、夜と朝の間の空間に浸りたいから。鞄に荷物をつめながら見る窓の外が暗くて、まだ早いんだなあ、眠たいなあなんて思う。でも、いざ玄関を飛び出すと、世界はとっくに起きていて、眠たげな目をしているわたしはその明るさに似合わないほど、きちんと朝を迎えている。ゆるやかに、でも規則正しく、今日という日を始めている。 わたしがあんまり見つめるものだから、夜はきっと恥ずかし
「わたしらしさ」が、わからないから 「その人らしさ」を持っている(ようにみえる)人が羨ましくて 憧れて、真似してみたくて、できなくて 「わたしらしい」 なんて、どこにもないんじゃないかって、思う ———みんなにみえている「わたしらしい」は、本当のわたしかもしれないけど たぶん一部でしかなくて 根っこに 誰も知らない わたし が いてくれたらいいのになって 思ったりする