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母親は娘にいつも何か言いたがる。

母親と仲良しだと思ったことは生まれてから一度もない。なぜかと言ったら母親は常々私に何か言いたがるからだ。そしてそれはいつも私を不機嫌にさせる。

まず、母親と服の趣味が全くと言っていいほど合わない。私がいいと思うものにとことんケチをつけてくる。特に首回りが開いている服は「もうちょっと首が詰まったのにしなさい。寒そう。」と却下された。でも私はこれがいいし、そんなに寒がりじゃない。そして、女の子らしくない服が好きだった。ダボダボのダメージジーンズに目が痛くなりそうなほどどぎつい黄色のパーカーを選ぶ私に母は首を傾げた。そして母は「これはどう?」と首が詰っていて白くてふんわりした服を私に勧める。ありえない。

私の容姿についても何か言いたがる。高校一年の夏休み。花火大会に行くために浴衣を着た。これ以前に浴衣を着ていたかもしれないけど記憶にないので初めての浴衣だった。お小遣いを貯めて買った可愛い浴衣。たまたま親戚の家で着付けてもらいうことになり我ながらいつもより少し可愛くなったと思ったし、親戚のおばちゃんも「大人になったね。可愛いわ〜」と褒めてくれた。そこに母親が来て「そんなことないよ全然、うちのは太ってるし」と。母親はいつもそうなのだ。子供が褒められた時に親は自分の子供を卑下することが慎ましいとでも思っているのか。はたまた本当にそんなに浴衣姿はひどかったのか。

でも勉強や部活に関しては何も言われなかった。何も言われなかったというか一度だけこんなことを言われた。「できなくても知らないから。自分のせいだからね。」この言葉は今でもはっきりと覚えている。まるでできない子みたいに言われて腹が立った。その怒りで部活も勉強も何も言われないくらいにやった。高校は地区で一番偏差値高いところに入ったし、部活だって死にそうになりながらやってそれなりに結果も残せた。大学受験は失敗したけど。そう、何も言われないくらいにやった。そして本当に良くも悪くも何も言われなかったのだ。

何をするときも母親は何か言いたげなのだ。何か言わないと死んでしまう呪いにでもかかっているのかっていうくらい。ついこの間も卒業式の袴をこれにしたと写真を送ったら素直にいいと言えばいいものを「少し暗いね」と添えられていた。ここまでくると本当に才能というか、母親になると余計な一言が自然と出ててくるようDNAに刻み込まれているのだろうか。自分もいつか母親になったとして娘に余計な一言を無意識に言ってしまっていたらと想像するとゾッとする。

ネタみたいに書いてはいるが、割とこれはコンプレックスなのだ。だって、ストレートに褒められた記憶っていうものが本当にないのだから。

高校生くらいまでの過程で、母親にただただ承認してほしいというか、余計な一言なしに褒めて欲しかったと最近よく思う。私は大学4年でコロナ禍での就活は本当に精神的にきた。就活を通して今までの人生を何回も何回も振り返った。そこで母親からのわかりやすい、いわゆる「愛」みたいなのをうまく感じ取れなかった瞬間が幾度となく浮かんできた。私は小さい頃から自分は何者なんだっていうアイデンティティの答えを知りたがっていたが全然わからなかった。おそらくだが、もっと母親からの承認を感じられることができたらそれは容易に理解できたのかもしれない。そして、きっと自分が辛い時にその体験があるだけで心強かったと思う。

母親を悪者にしたいわけではないが、母親との関係が良好な友人の話を聞くと少し羨ましく思ってしまう。母親との関係がいい人は何となくだが生きることに関してうまくやれているというか、いい感じに生きられている人が多いなと思う。

ある母と娘の関係性についての論文で、子供をどのような存在と捉えているかという質問に対し

生活や人生を豊かにしてくれる存在

と80%以上の母親が答えていた。

母親は結構冷徹というかあの母親特有の娘がグサグサ傷つくような物言いで大概だが、多分私も私で本当に暴れん坊で悪魔みたいな子だったかもしれない。こんな感じに母親が見たら悪口にしか見えないnote書いてるし。

母親にとって私は「生活や人生を豊かにしてくれる存在」なのだろうか。

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