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私が生物系Youtuberをする理由と生物学のアートな側面

私は2019年にYoutubeチャンネルを開設し、そろそろ30日間連続投稿となる。
連続投稿はまだまだ続けるつもり。

なぜ私がYoutubeを始めたのかをまとめました。


なぜyoutubeをするのか

99.9%は自分のため。この自分のためというのは3つに細分化できる。
①勉強のモチベーションのため
②承認欲求を満たすため
③継続できない劣等感を壊すため。


①勉強のモチベーションのため


一つ目に、私はYoutubeを毎日学び続けるためのモチベーションとして利用している。

Youtubeのネタ探しで毎日新聞をめくるようになったし、本も読むようになった。大学の授業でもネタ探しを兼ねることでいつもより集中できるようになった。家族や友人から「ずっと気になってたけど…」と質問され、それがネタになったりする。

より正確な情報を得るため、論文も漁るようになった。30日間で私の生物知識量はかなり増えた。Youtubeを始めて一番得をしているのは、紛れもない私自身だ。


②承認欲求を満たすため


人というのは承認欲求と自己中心的思考の塊で(私は特に人前に立ちたがるタイプだと思っている)Youtubeはこの両方を満たすものだとも思う。

視聴者は能動的に再生ボタンを押すわけだから、私が自己中心的に選んだ議題を調べ上げまとめ、承認して欲しさにアップロードした知識と、それを知りたい視聴者のどちらもが得をしているという構造も素敵だ。

たまに、路上の警備員さんと立ち話では済まないほど長い話をしているご老人を見かける。その話したい欲がYoutubeで金になるかもしれない。そんな時代が来ている。心の中でそっとおすすめしておく。

チャンネル登録者を増やしたい、再生回数を増やしたいという願望はもちろんある。だから動画を分析して少しずつ軌道に修正を加えている。自分が発信したいことがそもそも視聴者にとって興味のないことかもしれない。

けれどそういった根本からの修正は、100個くらい動画を上げてからにしようと思っている。あと70個くらいは、身近に溢れる生物学を発信していくぜよ。



③継続できない劣等感を壊すため

また、YouTubeは継続しようとしてもなかなか続けられない自分への挑戦でもある。

私の気の変わりようは株価よりも速い。(この例えは、自分の中では64点で5段階評価で言うと2、ギリギリ単位がもらえる可。)

家には、高校の時に最初の2〜3ページしか使っていないノートが溢れているし、居酒屋、売店、塾などのバイトは最長で半年くらいしか続かなかった。

大器晩成という言葉を聞くたびにハァ…と落ち込んでしまう。
「私は変わり続けることを継続してきた」とかいう屁理屈を言いながら21歳になった。

多分、継続することというのは大半の人が苦手だと思う。まず、早早に飽きる。潤滑剤が擦り切れてくる。慣れる。刺激が足りなくなってくる。

このままでいいのか。小さい砂山をたくさん作って終わるのか。今の私には、ずっと続けてきましたという足跡が無い。

僕は嫌だ!と思って衝動でYoutubeを始めた。
実は1年前にも同じタイミングでブログを始めたものの自分で継続できたとはいえない状態になってしまい、挫折を感じていた。Youtubeは、そのリベンジでもあった。

継続することが目的になってはいけないと思っていた。継続することで得られる何かに価値があるのであって、継続すること自体は何も生まれないと思っていた。

今もその考え方は変わっていない。ただ、その考え方を「辞める」という選択肢でなくやり方を変えることで実現することにした。それができるのがYoutubeの魅力だとも思う。

初期から見てくれている方は分かると思うのだが、私の発信スタイルは目まぐるしく変わっている。

初めはお面を被って私1人が言葉で説明していた。その次は手持ち人形のおろしポン酢くんを召喚し、1人二役で対話形式の発信をしていた。次はラジオ形式、そして今はブイログのようなアコースティック音楽と共にまとめノートを作る過程を動画に撮って発信している。

ここで、発信方法は変わっていてもYoutubeという媒体を使って情報を発信するということは変えていない。軸は変えずに、枝葉部分を自由自在に変化させていく。これが続けられない私が継続を実感する唯一の方法だと思った。


どうして生物学なのか

私はジビエや鹿角小物の事業を行なっている。それを発信したらええやんと、初めは思っていた。

けれど、私の活動は発展途上で、不特定多数に対して発信する動画として有益なものになるのか不安があった。しかも、毎日投稿という制限を自分にかけていたから、ジビエだけで毎日発信するのは正直難しいと思った。これをコンテンツ力と言うのかな。

だから、ジビエや鹿角という分野を少し拡張して、生物学という大きい視点から発信することにした。生物学という大きい括りなら、私の専門分野(私は農学部に所属している。農学部=農業というイメージが強いが、専門としては生物学を主に扱う。)も活かせる。

ジビエのイメージが全面に出ているから言いにくいが、私は生物学ほど暮らしに密接に関わっていて興味深い分野は無いと思う。高校では物理を専攻していた私は、きっと損をしていた。

例えば、納豆がネバネバしているのはなぜか。蚊に刺されると赤くかゆくなるのはなぜか。どうして目は悪くなるのか。風邪をひくとはどういうことか…

これらが分かれば、毎日が本当に実験の日々になる。全ての現象には理由がある。私はこれをとても面白いと感じるし、このワクワクを生物学を知らない人にも伝えられたら、いいなと思う。

生物学を勉強してから悲しいこと、悔しいことがあっても、これらの感情を「どうせ脳で起こってるただの電気信号」と割り切れるようになった。今まで宗教などの精神世界でしか解決できなかった事象が、科学で理解して処理できるようになった。これって人生観を広げるというか、楽しく生きるための一つの手段になり得ると私は思っている。

ただ、生物学を初めて学ぶ人は難しいと感じると思う。大学から生物の勉強を始めたから分かるけど、こうやって発信できるようになるまでに3年かかった。だから、私が論文や専門知識を噛み砕いて伝えられたらいいなという気持ちがある。これが私がYoutubeを始めた残りの0.1%の理由である。


生物学のアートな側面

ここからは完全に私の世界観。生物学のアートな側面について。


大学2年生の頃、初めて顕微鏡をのぞいて、神戸大学から見える夜景を見た時と同じ興奮を覚えた。生物ってめちゃくちゃ綺麗だと思う。

人によって美しい、素晴らしい、感動したと思う条件は違うと思うが、私の場合は意外性というのが条件の一つにランクインする。

驚きからの感心からの感動かな。すげー!普段見れんかったけど皮膚ってこんな構造してんの!神秘〜!といった感じ。

緻密に並んだ細胞群の中に、誰に教えてもらったのか血管が侵入したり、誰に教えてもらったのか一定の間隔で毛穴が存在したりする。こういうのって、めっちゃ美しいと思う。

何か輝くものには、その下に無数の駄作がある。生物も同じだと思う。今世界中に繁栄しているホモサピエンス。この作品を作り上げるために、何百年、何千年かかったのだろう。そして、どれくらいの生物種が誕生し、そして消えていったのだろう。

生物学は、世界で最も歴史的なアートだと思う。生物というものが生まれてから今まで、変化と淘汰を繰り返し、今も劇的なスピードで変わっていく。今も私たちはそのアートを構成し改善する一因子である。

生物学を勉強するというのは美術館を巡るみたいな感覚に似ている。(これはさすがに小さじ2杯分盛っている。)

それぞれの絵は、昔のすごい画家が現代までその絵の良さを発揮して生き残ったから見れるわけで。今まで保存されている生物の器官や組織も、それが環境に適応し生存に有利であったから残ってるわけであって。

だからマクロな生物は面白いし美しいんだと思う。

上手く纏まらなかったけれど、Youtube見てください。

それでは、今日も良き生物活動を。


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