竹島は島民が虐殺されて武力侵攻された
※この記事は未完成です。
日韓の世論は、両国の時事にビビッドに反応する。
韓国側世論→日本側への非難の例
植民地支配の違法性問題、慰安婦の強制連行問題、徴用工問題、等
日本側世論→韓国側への非難の例
資金を返還しない問題、スポーツにおける不正問題、慰安婦問題を端緒にしたマスコミ誘導問題、等
この中で、竹島という絶海の孤島を巡る議論がある。
簡単に言えば
現在、韓国が実効支配しており
韓国側は歴史的な先有権を主張し、日本側は法的権利を主張している。
中でも、日本側世論の主張の中には次のようなものがある。
「竹島を堂々と島民撃ち殺して軍事侵攻して掠奪を繰り返し」たそうである。
なにかバイオハザードの世界のようであるが、もし竹島の島民が彼の主張のように虐殺されたのであれば、C級の戦争犯罪としてハーグに訴えることができる案件である。
竹島の領有権については膨大な直接的な資料と間接的な国際情勢を踏まえて考える必要があり、書き始めると凄い量になって面倒くさいためまた別の機会にまとめようと思う。
よってこの稿では、戦後の竹島を巡る実力の行使に絞って話を進める。
竹島を巡る日本側の報道の中で、恐らく最も引用されるのが、宇山卓栄氏のこの論文だろう。
※寄稿したプレジデント紙版は有料版。全文はライブドアのサイトで確認できる。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/13684649/
同記事のリード文には
韓国は、竹島の領有権を固めようと、過去に約4000人の日本人を不法に抑留し、そのうち8人を死亡させている。
と書かれている。
これを基に
・韓国側が
・竹島の領有という目的・理由の為に
・約4000人の日本人を不法に抑留
・うち8名が死亡
と主張する人達がいる。
しかし、本文中には
竹島及びその周辺海域で漁民が襲撃を受けた事実はどこにも書かれていない。
さて、同記事にも触れられている「李承晩ライン」と、その域内の実効支配とはどのようなものであったのか。
これも同記事に触れられている昭和41年版の「海上保安の現況」(いわゆる海保白書)に詳しいので、該当部分を示す。なお、昭和41年(1966年)は日韓基本条約締結翌年であり、李承晩ラインが消滅している時期であることに留意が必要である。
以下、海上保安の現況P131~135の、表を除く表記を文字起こしする。
第3節 日韓漁業協定の成立と海上警備
1.概要
日韓国交正常化に関する日韓間の交渉は、40年に入ってから急速に進展し、 4月3日関係条約が調印され, 6月22日の本調印を経て12月18日には,法的地位に関する協定を除き, 日韓漁業協定その他の条約が発効した。 日韓漁業協定の成立により, いわゆる李ラインは事実上撤廃され, 同協定により、 日韓両国はそれぞれ自国の沿岸に漁業に関する水域を設定できることとなり、また、韓国の漁業に関する水域の外側には、共同規制水域を設けることとなった。
漁業に関する水域は, 沿岸の基線から測定して12海里までの水域で、沿岸国が漁業に関して排他的な管轄権を行使する水域として日韓両国が相互に認めたものである。 わが国は, 漁業水域の設定に関する法律 (40年法律第45号) を定め、 具体的には, 政令(40年政令第373号)により, 島根,山口,福岡, 佐賀,長崎の各県の沿岸の基線から12海里以内の海域 (公海に限る。) を漁業に関する水域として設定した。 また、 韓国も, 12月18日の大統領告示第1号により漁業に関する水域を設定したが, 韓国南岸および西岸においては直線 基線を使用するとともに, 済州島の北側では沿岸から12海里をこえる水域をも漁業に関する水域に含ませることとしている。
わが国では,漁業水域の設定に関する法律により同水域内での韓国民の行なう漁業に関して日本の法令を適用することとし、さらに漁業法に基づく命令により同水域等において韓国民が漁業を行なうことを禁止した。また韓国もその漁業に関する水域においてはわが国漁船の操業を禁止している。
共同規制水域は, 漁業資源の持続的生産性を確保するために必要とされる 保存措置が十分な科学的調査に基づいて実施されるまでの間, 底びき網漁 業, まき網漁業および60トン以上の漁船によるさばつり漁業について暫定的漁業規制措置を実施する水域である。 この規制措置は,出漁隻数又は統数。 漁船規模、網目、 集魚の光力、 出漁証明書および標識について基準を定め, 両国がそれぞれ自国の漁船に対して実施しようとするものである。
協定に基づくこれらの新しい制度の円滑な実施を図るためには、 両国監視船によるその励行と両国漁船による規制内容の遵守が必要であるが, とくに漁業に関する水域の境界線附近では, 漁船の位置の測定について両国間の見 解が異なる場合も予想され, 両国監視船の慎重な措置が望まれるところである。この点に関し, 両国外務大臣は協定の署名に際して, それぞれ自国の 視船による他国の漁船の漁業に関する水域の侵犯の事実の確認とその漁船および乗組員の取扱いとについて, 国際通念に従い, 公正妥当に処理する用意があることを声明している。
すでにわが国漁船は, 日韓漁業協定を誠実に実施しているが, 海上保安庁 においては, 水産庁監視船とともに巡視船を共同規制水域に派遣し、日本船に対する指導取締りにあたらせ、 協定の確実な実施を図り、紛争発生の防止と日本漁船の正当な操業の確保に努めている。
なお操業位置の測定に役立てるため、 海上保安庁では対馬に、 同島北西方の日韓両国の漁業に関する水域が接する海域を対象範囲とするトーキング ビーコン局を設置することとしたほか, 巡視船にも、日本漁船に対する操業 位置についての指導, 注意を行なうための装備の整備を図っている。
2.日韓漁業協定成立後の警備方針
海上保安庁は、協定成立後, 韓国周辺海域には日本漁船の出漁状況に応じ 巡視船を派遣し, その他とくに両国の漁業に関する水域の近接している対 馬周辺海域には巡視艇を適宜配置して警備にあたらせることとしている。 巡視船艇は、おもに, 韓国の漁業に関する水域の外側をしょう戒することとしている。
日韓漁業協定の実施に関する巡視船艇のおもな業務は次のとおりである。
(イ) 日本漁船の韓国の漁業に関する水域侵犯の防止
(ロ) 正当な操業をしている日本漁船の保護
(ハ) 共同規制水域内における無標識出漁船の取締り等暫定的漁業規制措置等の実施のための国内法令違反の取締り
(二) 日本の漁業に関する水域等を侵犯する韓国漁船の取締り
3.韓国周辺海域における海上警備の推移
海上保安庁が27年5月, 公海において操業する日本漁船の操業秩序を維持し, あわせてその保護のために巡視船を派遣し、いわゆる特別しょう戒を実施するようになってからすでに14年の星霜を経た。 巡視船艇は, 厳寒,酷暑, 暴風雨等の悪条件に耐え, 日本漁船の保護に努めてきた。
韓国による日本漁船のだ捕は, 22年から始まっているが, 当時わが国は連合国軍の占領下にあり、 連合国軍の設定したいわゆるマッカーサーラインをこえて日本漁船が操業することは禁止されていた。 韓国による日本漁船のだ捕はマッカーサーラインの越境を主たる理由としていたものと思われる。 22 年から26年までの間に韓国にだ捕された日本漁船の隻数は計94隻であるが、 うち9隻がいまだ帰されていない。なお26年には,朝鮮動乱の発生に伴い韓国の警備が強化されたため、 1年間に45隻という多数の漁船がだ捕されている。
平和条約の発効に伴って, それまで日本漁船の操業区域を制限していた マッカーサーラインの撤廃が予測されるや, 韓国の李承晩大統領は, 27年1 月18日海洋主権宣言 (いわゆる 「李ライン」宣言)を行ない, 同ライン内で操業する日本漁船を李ライン侵犯を理由にだ捕し始めた。 このため, 27年以降も だ捕事件の発生が続き, なかには漁船の乗組員が銃撃されて死亡するというような不幸な事件も起こった。 なお, 27年以後40年までにだ捕された漁船は 233隻あったが,うち帰されたものはわずかに49隻で, 27年以降のだ捕は26 年以前と様子を異にしている。
28年7月27日、朝鮮動乱の休戦協定が成立し, 8月27日 国連軍最高司令官が軍事目的のため設定していた朝鮮防衛海域の停止が実施されることとなった。これに力を得た日本漁船が大挙出漁すると、 韓国側は海軍艦艇を多数出 動させて李ライン内の日本漁船の立退き措置を強行し、その結果, 28年には 47隻ものだ捕事件が発生した。 海上保安庁は, 巡視船艇を増派してだ捕および紛争の防止に努めたが, 日本漁船の被害は続出し, 情勢は悪化する一方で あり、第三次日韓会談では漁業問題の解決を図ろうとしたが、 会談は決裂に終わった。一方, 韓国は本ラインの主張を正当づけるためか、 魚族資源の保護のためのみならず, 共産分子の侵入を防止するためのものとして李ライン を平和ラインと呼称し、 28年12月12日には、李ライン宣言を法的に裏付ける漁業資源保護法を制定した。 また同23日には海洋警察隊を創設し, 李ラインの防衛を強化するようになった。 28年から30年までの3か年間に、日本漁船 のだ捕事件は111件にも達し、 今日までの韓国によるだ捕事件総数の35%を占めている。
31年4月以降は, 韓国警備艇の出動に対して警報を発令し、 漁船を避難させる等だ捕防止対策を強化したので、だ捕漁船は31年には19隻、32年には12 隻、33年には9隻、34年には10隻と減少した。
35年4月, 韓国には政変があり、また, 特別しょう戒に従事する巡視船の増強などがあって、年間だ捕件数は6件に激減した。
しかし、36年韓国の軍事革命以後は, 韓国警備艇の活動が再び活発となり、 積極的なだ捕行動を開始したので、ライン内の操業海域のほとんど全域にしばしば厳戒警報を発令しなければならなかったが, 出漁漁船側はこの警報 を遵守していたのでは操業不可能となるとみて、 警報を無視して操業する漁船が増加した。 しかも、日韓会談の進展にもかかわらず、 韓国の日本漁船に対する強硬態度には何らの変更がみられなかったので、 だ事件の発生は依然として跡を絶たなかった。
39年に入り韓国警備艇の活動がきわめて著しい時期には、いわゆる two to oneの体制をとるため、 他の業務を犠牲にして各管区から巡視船を応援増派 して、最高時には20数隻を動員し、同時に8隻ないし9隻の巡視船がしょう戒を行なう体制をとったこともあった。
40年になると, 日韓会談妥結の気運が急速に盛上がり、5月に1件だ捕事件が発生したが, 4時間後には釈放され、 6月22日の日韓漁業協定調印後は、だ捕事件は発生しなかった。 12月18日, 日韓漁業協定の発効により, 韓国周辺海域に派遣される巡視船は, それまでのだ捕防止を主目的とした業務にかえ、前述した新しい警備方針に基づく業務に従事することとなった。
ここまで読んだ違和感。それは
「竹島について何の言及もない」ということだ。
では、日本政府及び海上保安庁は、竹島を領土と見なさず、竹島周辺は管轄外だったのだろうか。
日本はSF条約発効、竹島の爆撃訓練指定、その解除を以て、竹島周辺海域を日本の領土領海及び日本の漁業権の及ぶ海域として認識し、海上保安庁の巡視船が哨戒にあたっている。なお、韓国官憲が海保の巡視船に銃撃した事実がある。
・竹島に「島民」はいたのか
戦前、島根県の漁師が竹島で海藻類及びアシカ漁をしていたことは各種資料が残っている。
終戦後、日本はGHQの管理下に置かれた。これは漁業者も例外ではなく、1946年6月22日に、日本の漁業権の及ぶ範囲が定められた。
※国境の領土範囲を定めるものではないとわざわざ但し書きがついている点に留意。
その時、日本船には
竹島の周囲12マイル以内への接近禁止が課された。
この措置は、日本が主権を回復する1952年4月28日のSF講和条約発効まで続く。
1947年9月16日、GHQ指令によって竹島は米軍の爆撃訓練地域に指定された。
また、この指令は1951年7月6日に再指定された。
なお、爆撃訓練地域に指定された前後で、南朝鮮-韓国の漁船が竹島周辺海域で米軍機に攻撃される事件が数件発生する。※はるか後世に、犠牲者数が当時の発表より跳ね上がるのはご愛嬌。
SF条約発効で日本はGHQの管理下から解かれた為、GHQ指令は無効化するのだが、
1952年7月26日、日米政府の協議によって再び竹島は「米軍の」爆撃訓練地域に指定された。
島根県より、竹島における海藻類及びアシカ漁の再開を主目的として漁業に活用するため、竹島の爆撃訓練地域を外すよう要望があり、1953年3月19日、日米合同委員会によって爆撃訓練地域指定の廃止が決定した。
なお、韓国側の主張によると、この通知から実行の間に最初の民兵(独島義勇守備隊)が竹島に上陸したが、その頃は常駐できなかった。
1953年6月、海上保安部は竹島に上陸していた韓国民兵を退去させているが、その後は発砲事案もあり、海保と韓国民兵(後に韓国の官憲)とのせめぎあいが発生する。
では、竹島に最も近い島根県の漁船が韓国官憲に拿捕されたケースを見てみよう。
島根県籍の漁船合計11隻が、李承晩ライン設定後から日韓基本条約締結までの間に拿捕されたことが分かる。
問題は、拿捕された位置である。
①②③④⑤⑥⑦⑪…農林222、223
⑧…農林229
⑨⑩…農林256の西
11隻全て、対馬もしくは九州の西側エリアで拿捕されている。勿論、竹島とは無縁のエリアである。
竹島を法的に所轄する島根県の公式サイト上に、WEB竹島問題研究所というコーナーがある。竹島の領有権について、韓国側の様々な主張に対して網羅的に反論するとともに、日本側の主張の正当性を史実に基づいて訴える、大変資料的価値の高いサイトである。
その中に、1954年までの拿捕の座標に関する興味深い資料がある。
この藤井賢二氏の論文では
・拿捕された日本漁船の多くは竹島周辺以外で拿捕されたものである
・多くの日本漁船は済州島周辺の好漁場で拿捕された
ことが強調されている。
また、藤井氏の他の論文には、日韓基本条約締結以後、竹島周辺をイカ釣り漁の漁場として日本船が利用したという記録もある(がこれは余談)。
これらの研究成果から
①李承晩ライン設定までも済州島付近海域を主とした日本漁船拿捕はあった。
②李承晩ライン設定から日韓国交正常化までの間、済州島付近海域や東シナ海を主とした日本漁船拿捕が激しく行われた。
③国交正常化以降、竹島周辺海域が新たなイカ釣り漁場として日本側に認識され、多くの船が平和に漁をした時期があった。
かくして
日本漁船や漁民が
竹島周辺海域や竹島そのものにおいて
韓国の官憲や民間武装勢力によって
銃撃、拿捕、拘束、拷問された
という説には、何の証拠も残っていないことが明白である。
結論
韓国側による日本漁民への攻撃というのは
当時から好漁場だった済州島付近や東シナ海において
漁場から日本漁船を閉め出そうとした韓国官憲が
李承晩ラインを韓国の国内法的根拠として
拿捕しまくった蛮行であり
竹島の不法占拠とは基本的にほぼ無関係なものである。
竹島の不法占拠という政治的メッセージが強すぎるため
漁民の虐殺などと結びつけて論じる風潮があるが
それは史実を検証しない者たちの暴論である。
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