目標に数字をいれるのは?
【文字数:約1,500文字】
※ これは私の趣味の1つなので、キモいとか思う方は読まないことを推奨します
会社を辞めて実家に戻ると決め、そこから小説家を目指しているらしい、ある人の観測を続けている。
執筆に励んで3年目となった先日、今年の目標を書いていたので不安もありつつ覗いてみた。
すぐにモニターの前で「ああ……」と声が漏れる。
私の考える良くない目標がいくつもあって、そもそもの数が多いのも気になった。
やりたいことが多いのは素晴らしいのだけど、永遠の目標としている「小説家になる」という夢とバッティングしそうなのを並べるのは、はたして意識的なものなのだろうか。
そして「小説を〇冊読む」や「映画を〇本観る」といった、具体的な数字入りの目標は経験者として、あまりオススメできないものの筆頭だ。
数をこなすのが目的化して楽しみにくくなるし、達成できないと結果として自分の首を絞める。
もちろん意識しやすい明確な目標にできるし、こなせれば確実に自身の糧になるけれど、去年の目標が高すぎて達成できなかった反省を含めているにしても、いささか心配になってしまう。
noteでも毎日更新を目的化して内容が疎かだったり、更新がツラいと自分で白状している人もいて、「じゃあ止めればいいのに」と思っている。
ツラいながらも続けて得られるものがあると知っているけれど、「最近の文章はダメだ」と書いているのを読んだ、読者の心情を考えたことはあるのだろうか。
小説家が夢の人は「1年で〇〇万文字を書く」という数値目標を前に掲げており、おそらく数値をいれるのが好きなのだろう。
営業件数〇件、販売額〇百万などと、利益追求が目的の企業において数値目標は正義だし、効能があることも認める。
じゃあ小説家になるという夢は、はたして利益追求が目的なのか?
投稿サイトで親交のあった人が、念願かなってライトノベル作家としてデビューして1年、その間に4冊を出して現在は安否不明になっている。
厚みはそれなりといえど、1冊を書くのにもろもろ半年かかるそうな。
デビュー作の分を含めないにしても、ひたすら1年を書くことに費やしてきたのに、先の4冊は別の2シリーズ2巻分だ。
つまり2巻で打ち切り2回を経て、もう知りませんと戦力外になったのだろう。
デビュー前に担当編集者さんが地元まで来てくれたと嬉しそうだったし、デビュー作が出たときは私からもお祝いを伝えた。
それが2巻で打ち切りになったとき、イヤな予感はしていた。
ひとまず3巻で1シリーズとしてまとめるのが、いちおう打ち切りの定型であるはずなのに、それすらなく刊行中止で次を書けと命じたわけだ。
デビュー作にこめた想いを知っているだけに、出版社には怒りを覚えつつも機会を用意したから、ひとまずは溜飲を下げた。
けれども同じ2巻打ち切りを繰り返し、楽しそうだった小説家は消息を絶つ。
利益つまり部数が出ないから次の作家をデビューさせ、取り換えの効く新人で売ろうというわけだ。
反吐が出る。
観測している夢が小説家の人は、体調不良によって仕事を辞めたそうな。
自分を壊した企業と同じ方法論で目標を掲げ、それに縛られて書くことがツラくなっていくとしたら、地獄の再生産とする他にない。
経験上、そうした人に助言したところで「私には夢があるので(キリッ」と返されるのがオチであり、返信さえなくブロックされるかもしれない。
自分にとって不愉快な情報を入れないようにして、ひたすら前進するのは素晴らしいことだ。
でもその先にあるものをゴールだと勘違いして、すべての苦しみから解放されると考えているとしたら、たぶん私は同じ光景を見ることになるのだろう。
私はそれが現実にならないのが、よりよい未来だと信じている。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?